1927年(昭和2年)に起きた金融恐慌は、教科書だけではわかりづらい内容ですよね。
「取り付け騒ぎ」、「震災手形」など、よくわからない言葉だらけだと思います。
そこで、この記事では金融恐慌の始まりから終わりまでを、わかりやすく解説します。
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昭和初期(戦前)の練習問題は、こちらです。
金融恐慌の原因
関東大震災がきっかけ
金融恐慌の原因は、1923年の関東大震災までさかのぼります。
このとき、日本銀行が一般の銀行から「手形」というものを大量に買い取りました。
目的は、一般の銀行がお金をなくして倒産することを防ぐためでした。
この日本銀行が買い取った手形を、「震災手形」と呼んでいます。
じゃあ、「手形」って何? というところから、解説します。
手形とは何か
① たとえば、あなたが服工場Aを経営していたとしましょう。
あなたは布工場Bから100万円の材料を買いたい。
でも手元には10万円しかありません。
これじゃあ、布は買えませんよね?
② 一方であなたは来月、デパートCから売上120万円をもらう予定です。
この120万円があれば、100万円の材料が買えそうですね。
③ そこであなたは、来月100万円を払う約束をした紙(=手形)を出します。
布工場Bも来月代金をもらえるから、あなたに布を売ります。
このような「手形」を使う取引は、現在でも行われています。
震災手形とは何か
④ ところが、1か月たたないうちに1923年の関東大震災が発生!
あなたの服工場A, 布工場B、デパートCも被災しました。
⑤ あなたはデパートCから120万円を受け取ることができません。
あなたの服工場Aも被災したから、とても布工場Bに100万円を払えません。
布工場Bも被災したから、はやく現金を欲しがっています。
3社とも倒産のピンチ!
⑥ 布工場Bは、あなたの出した100万円の手形を銀行Dに売ります。
「100万円の手形」は銀行Dには80万円に割引されました。
布工場Bにとって20万円の損ですが、お金がないよりましです。
⑦ 関東じゅうに布工場Bのような会社が、たくさん銀行に殺到しました。
このときの銀行に集まった手形を「震災手形」といいます。
手形をぜんぶ銀行Dが買い取ったら、銀行の金庫からお金がなくなります。
銀行Dにお金を預けている預金者Eは、銀行Dを疑っています。
銀行Dがつぶれたら、預金者Eのお金もなくなってしまうからです。
現在は預金保険制度がありますが、当時の日本にはありませんでした。
関東大震災で政府がやった政策
⑧ 政府(山本内閣)は関東大震災で大量の銀行がつぶれないように対策しました。
- 震災から30日間の支払猶予令(手形の支払を待つ)を出す
- 日本銀行が一般の銀行から再割引きで手形を買い取る
銀行Dが80万円で買い取った震災手形を、日本銀行が70万円など割引価格で買い取りました。
銀行Dにとっては10万円くらいの損ですが、銀行がつぶれるよりましです。
日本銀行が買い取った「震災手形」は、4億3082万円ありましたが、1925年末でも2億680万円が未決済でした。
この「震災手形」には、震災前の不景気が原因で支払いができない手形も混ざっていたようです。
第一次世界大戦後、1920年まで日本経済は絶好調でしたが、それから昭和初期までは不景気だったのです。
金融恐慌の発生と結果
金融恐慌の発生
⑨ 人々は銀行ヤバいんじゃないの?と動揺していたところ、
大蔵大臣の片岡直温が、失言をしました。
日本中の銀行で、人々が預金を引き出そうと殺到し、大パニック!
この騒ぎを、「取り付け騒ぎ」といいます。
⑩ しかも台湾銀行が鈴木商店に大量に貸したお金が返って来なくなり、大ピンチ。
首相の若槻礼次郎は、台湾銀行を救済ができず、総辞職しました。
金融恐慌の終息
⑪ 次の田中内閣のとき、金融恐慌は収まりました。
- 三週間の支払猶予令を出す。
- 日本銀行が全国の銀行にお金を貸す
金融恐慌の結果
⑫ 金融危機の結果、人々は財閥系の大きな銀行にお金を預け、
財閥系の企業がどんどん成長しました。
財閥と政党が癒着を始めたのも、このころからです。
もう一つは、日本銀行がお金を印刷しまくったので、
ドルに対する円の価値が下がりました。
1917年から金を輸出禁止にしていましたが、
日本円の価値を安定させてほしいという声が高まりました。
本当の大不況は、「昭和恐慌」という形で人々の暮らしを襲います。