高校日本史、飛鳥時代の無料練習問題を用意しました。
歴史が苦手な人、模試で40点届かない人、定期テストで赤点取りたくない人などに向いています。
600年厩戸王(聖徳太子)が隋に使いを送ってから、701年大宝律令が完成する直前の内容です。
古墳づくりはもう古いから、仏教や中国の文化を取りいれて中国的な政治をやろうぜ、という話です。
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日本史(飛鳥時代)の無料練習問題
歴史は暗記ではない
日本史は暗記科目ではありません!
教科書・資料集の内容が理解できているかを問う科目です。
共通テストでは、知識の暗記より知識を使って正解を出す力が問われます。
この練習問題のおすすめの使い方は、以下の通り。
- 答えを調べても、問題を2回以上解いてもOK
- 重要事項は年表で整理する
- 解いたら、ポイントの整理を音読する
ヤマト政権の練習問題
倭国の大王は古墳を作ってブイブイ言わせていたけど、朝鮮での成果はイマイチでした。
なので、渡来人から文化を学ぼうかとなりました。
ポイントの整理
語句は下から選んでください。文章を音読するだけでも、内容が整理できます。
・4世紀から5世紀、中国のまわりでいろんな民族が力をつけた。
・朝鮮では、馬韓から( )、辰韓から( )、ヤマト政権も( )に( )資源を求めて進出。
・( )の碑文から、倭は( )との交戦に負けたらしい。5世紀より( )からさまざまな文化を学ぶ。
・( )は養蚕と機織りを伝え、秦氏を名乗る。( )は、『論語』と『千字文』を伝え、西文氏を名乗る。( )は、史部を管理し、「帝記」・「旧辞」など『古事記』・『日本書紀』の材料を残し、東漢氏を名乗る。
・538年百済の聖王より( )が伝わる。
・日本で漢字の使用は、( )と( )で見られる。
・朝鮮への優越権を中国の南朝(宋)に認めてもらうために使者を送った。これらの倭王をまとめて( )と呼ぶ。
確認問題
問1、538年仏教はどこから正式に伝わったか。
問2、ヤマト政権は朝鮮のどこに進出していたか。
問3、倭の五王は、朝鮮での優越権を認めてもらうため、どこに使者を送ったか。
問4、文書記録を管理した渡来人は誰か。
問5、ワカタケル大王(雄略天皇)の記述が出てくる鉄剣は何か。
聖徳太子以前の練習問題
大王はたくさんの豪族を従えましたが、仏教を取り入れるか豪族どうしが争いました。
ポイントの整理
語句は下から選んでください。
・5世紀から( )たちは氏(うじ)という血縁関係で結束していたので、大王は氏ごとに( )という地位・役職を与えた。これを( )制度という。
・奈良盆地には中央豪族の臣(おみ)・連(むらじ)の他、職務を担当する( )やその下の部(べ)という集団がいた。
・地方豪族は( )に任じられ、豪族の私有地を田荘(たどころ)、私有民を部曲(かきべ)といった。
・527年筑紫国造( )が新羅と結んで反乱を起こした。( )の乱の後、地方豪族を抑え、土地と民衆を大王の直轄とした。
・6世紀初め、大伴氏が( )を失って失脚。
・6世紀中ごろ、仏教に反対の( )と仏教受容派の( )が 対立し流血の末、( )が政権を握る。
・6世紀中ごろ、( )の南下をきっかけに、領地拡大をめぐり( )と( )が戦争する。
・589年( )が中国を統一し、高句麗など各地に攻め領土を拡大させる。
新羅、豪族、磐井(いわい)、姓(かばね)、
確認問題
問1、中央の豪族、大伴氏は何をきっかけに失脚(地位を失う)したか。
問2、仏教の受容と政策をめぐり対立した豪族は、何氏と何氏か。
問3、589年、中国を統一し、高句麗など武力で攻め、強大な力を誇った国はどこか。
聖徳太子の練習問題
聖徳太子(用明天皇の子)は仏教を取りいれ、中国から直接文化を学んで、倭国を文明国にしようと決めました。
ポイントの整理
・聖徳太子( )と( )は、大陸の先進的な文化を積極的に 取り入れる政策を行う。
・冠位十二階は、氏族単位でなく( )の能力に応じてランクをつける。
・憲法十七条は、最初の法であり、豪族に国家の( )であること、( )を重んじることを明記している。
・607年遣隋使小野妹子を派遣したとき、手紙に中国と( )であると主張するも、留学生を送りながら、894年まで臣下の礼をとる。
・630年に最初の遣唐使を送った時の留学生のうち、( )と( ) は、のち大化の改新で政策立案に関わる。
蘇我馬子、仏教、儒教、目上、厩戸王、小野小町、
確認問題
問1、氏姓制度と違い、冠位十二階は何に応じて冠位を定めているか。
問2、聖徳太子とともに大陸の先進的な文化を積極的に取り入れた人物はだれか。
問3、のち大化の改新で政策立案に関わる唐への留学生を二人挙げよ。
大化の改新の練習問題
中国では律令という法体系で政治をする中央集権国家となったので、日本も唐の真似をしようと決めました。
ポイントの整理
・唐は( )制を整え、高句麗に侵攻したので、周辺諸国は( )の確立を急いだ。
・645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが( )で蘇我蝦夷と入鹿を滅ぼし、( )を始める。
・翌年の( )では、豪族の田荘・部曲を廃止して、( )に移行すること、地方に国と( )を置き、( )を作り、新しい税制の実施を宣言する。
改新の詔(みことのり)、
確認問題
問1、大化改新に加わったメンバーのうち国博士となった人物を二人挙げよ。
問2、改新の詔では、豪族の私有地・私有民を廃止して何に移行するとしたか。
問3、都を飛鳥からどこへ移したか。
天智・天武・持統の練習問題
日本版律令制こと大宝律令が完成するまでのプロセスです。
ポイントの整理
・663年( )で敗れた後、大宰府の北に( )と西日本各地に朝鮮式( )を築き、兵士として( )を置く。
・667年中大兄皇子は、( )に都を移し、天智天皇として即位し、最初の戸籍である( )を完成させる。
・( )で勝利した天武天皇は、( )で即位し、官僚制を整え、豪族の身分を( )に編成し、国史の編纂、富本銭の発行などを、行う。
・天武天皇の政策を引き継いだ( )は、( )を施行し、戸籍の( )を完成させ、中国式の都城にならった( )への遷都を行った。
壬申の乱、白村江の戦い、防人、八色の姓、庚寅年籍、庚午年籍、水城、飛鳥浄御原令、
確認問題
問1、次のうち、中大兄皇子(天智天皇)関係のあるものをすべて選べ。
問2、次のうち、天武天皇と関係のあるものをすべて選べ。
問3、次のうち、持統天皇と関係のあるものをすべて選べ。
庚午年籍 庚寅年籍 難波宮 藤原京 近江大津宮 飛鳥浄御原宮
白村江の戦い 壬申の乱 飛鳥浄御原令 八色の姓 富本銭 乙巳の変
飛鳥文化の練習問題
聖徳太子の時代(7世紀前後)、仏教を取り入れようぜと言った頃の文化です。
ポイントの整理
・飛鳥文化は、初めての( )で、飛鳥の地に( )が営まれた。
・渡来人の( )は、法隆寺釈迦三尊像など北魏様式の仏像をつくる。
・高句麗の僧、( )は紙・墨・絵具を伝えた。
・古墳に代わり寺院の建立が、豪族のステータスになる。
・蘇我馬子は( )、聖徳太子は四天王寺と( )を建立する。
確認問題
問1、聖徳太子が秦河勝に伝えたとされる百済様式の仏像は何か。ヒントは悟りかけている人。
問2、飛鳥寺釈迦如来像など北魏様式の仏像を作ったのはだれか。
問3、暦(カレンダー)を伝えた百済の僧はだれか。
白鳳文化の練習問題
お相撲さんではないですよ。7世紀後半の律令国家を作ろうぜ的な感じの文化です。
ポイントの整理
・白鳳文化は、飛鳥文化に続く7C後半~8C初めの文化で、( )・( )の時代が中心。
・( )から伝えられた唐初期の影響をうけた仏教文化。
・律令制の完成にともない、( )にも、漢字文化と儒教思想が受け入れられる。
・代表的な建築には薬師寺( )があり、彫刻には、薬師寺( )と( )仏頭などがある。
・古墳文化の終末期、大王陵には( )が見られる。
・壁画は、法隆寺金堂の壁画と、( )古墳の壁画がある。
装飾古墳、地方豪族、八角墳、釈迦三尊像、
確認問題
問1、飛鳥文化に関係あるものにA、白鳳文化に関係あるものにBと記せ。
・法隆寺釈迦三尊像( ) ・薬師寺東塔( ) ・広隆寺半跏思唯像( )
・興福寺仏頭( ) ・天寿国繍帳( ) ・玉虫厨子( )
・地方豪族にも漢字文化が普及( ) ・鞍作鳥など渡来人が活躍( )
・高松塚古墳壁画( ) ・新羅から唐初期の文化( )
日本史(飛鳥時代)の年表問題
年表の穴埋めをやってみましょう。
4世紀末から聖徳太子の時代(7世紀初め)まで
西暦 | 天皇(大王) | できごと |
391 421~478 □ 513 512 527 538 540 552 562 587 588 592 | □ □ 応神天皇? □ 継体天皇 □ 欽明天皇 □ □ 用明天皇 □ □ 崇峻天皇 | 倭軍が百済・新羅を攻撃( )碑文 中国南朝に倭王(讃・珍・済・興・武)が使いを送る( ) 弓月君・王仁・阿知使主ら渡来人が来る 五経博士が百済から五経を伝える 大伴金村(おおとものかなむら)が加耶4県を百済に譲る 筑紫国造( )が起きる⇒528鎮圧 百済の聖王が( )を伝える 大伴金村が失脚 蘇我稲目と物部尾興が、( )の受容で争う ( )が加耶を滅ぼす 厩戸王と( )が、物部守屋を滅ぼす 蘇我馬子が( )の造営を始める 蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺 |
593 602 603 604 607 608 610 618 | 推古天皇 | 厩戸王が推古天皇の( )となる 百済の僧( )がカレンダーを伝える ( )を制定 憲法十七条を制定 小野妹子を( )に派遣、厩戸王は( )を建立 妹子、留学生( )らとともに再び派遣 高句麗の僧( )が紙・墨・絵具を伝える 隋が滅び、( )が中国を統一 |
語句
好太王、高向玄理、隋、冠位十二階、
大化の改新から大宝律令まで
西暦 | 天皇 | できごと |
630 640 | 舒明(じょめい) | 犬上御田鍬ら第1回( )を派遣 高向玄理らが帰国 |
643 645 | 皇極(こうぎょく) | 蘇我入鹿が聖徳太子の子(山背大兄王)を自殺に追い込む 中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我氏を滅ぼす( ) |
646 | 孝徳(こうとく) | 最初の元号を大化とする 都を( )に置く ( )を出す 薄葬令により、古墳の規模が位で制限される |
658 660 663 | 斉明(さいめい) | 阿倍比羅夫を蝦夷に派遣 ( )が滅ぶ ( )で、唐・新羅に敗北 |
664~667 667 | 中大兄皇子 | 対馬・壱岐・筑紫に( )を置き、 筑紫に( )と大野城など朝鮮式山城を築く 都を( )に移す |
669 670 672 | 天智 (弘文) | 中臣鎌足は( )の姓を賜る 全国的な戸籍( )を作る ( )が起きる |
673 675 684 | 天武 | 大海人皇子が( )で即位 豪族の私有民部曲を廃止 ( )を制定する |
689 690 694 | 持統(じとう) | ( )を施行する 庚寅年籍を作らせる 都を( )に移す |
701 | 文武(もんむ) | 大宝律令が完成 |
語句
八色の姓、白村江の戦い、飛鳥浄御原令、防人、遣唐使、改新の詔、百済、
日本史(飛鳥時代)の解答
ヤマト政権の解答
ポイントの整理
・4C~5Cにかけて、中国周辺民族が力をつけた。
・朝鮮では、馬韓から(百済)、辰韓から(新羅)、ヤマト政権も(加耶諸国)に(鉄)資源を求めて進出
・(好太王碑の碑文)から、倭は(高句麗)との交戦に負け、5Cより(渡来人)からさまざまな文化を学ぶ。
・(弓月君)は養蚕と機織りを伝え、(秦氏)を名乗る。(王仁)は、『論語』と『千字文』を伝え、(西文氏)を名乗る。(阿知使主)は、史部を管理し、「帝記」・「旧辞」など『古事記』・『日本書紀』の材料を残し、(東漢氏)を名乗る。
・538年百済の聖王より(仏教)が伝わる。
・日本で漢字の使用は、(稲荷山古墳出土鉄剣)と(江田船山古墳出土鉄刀)で見られる。
・朝鮮への優越権を中国の南朝(宋)に認めてもらうために使者を送った倭王をまとめて(倭の五王)と呼ぶ。
確認問題
問1、百済
問2、加耶諸国
問3、南朝(宋)
問4、阿知使主
問5、稲荷山古墳出土鉄剣
教科書よりやさしい参考書です。
聖徳太子以前の解答
ポイントの整理
・6C初め、大伴氏が(加耶)を失って失脚。
・6C中ごろ、仏教に反対の(物部氏)と仏教受容派の(蘇我氏)が対立し 流血の末、(蘇我馬子)が政権を握る。
・6C中ごろ、(高句麗)の南下をきっかけに、領地拡大をめぐり(百済)と(新羅)が戦争する。
・589年(隋)が中国を統一し、高句麗など各地に攻め領土を拡大させる。
確認問題
問1、加耶を失ったこと
問2、物部氏と蘇我氏
問3、隋
この記事の問題よりやさしい問題集です。
聖徳太子の解答
・聖徳太子(厩戸王)と(蘇我馬子)は、大陸の先進的な文化を積極的に取り入れる政策を行う。
・冠位十二階は、氏族単位でなく(個人)の能力に応じてランクをつける。
・憲法十七条は、最初の法であり、豪族に国家の(官僚)であること、(仏教)を 重んじることを明記している。
・607年遣隋使小野妹子を派遣したとき、手紙に中国と(平等)であると主張するも、留学生を送りながら、894年まで臣下の礼をとる。
・630年に最初の遣唐使を送った時の留学生のうち、(高向玄理)と(旻)は、のち大化の改新で政策立案に関わる。
確認問題
問1、個人の能力
問2、 蘇我馬子
問3、高向玄理・旻
この記事の問題と同じくらいのレベルで、1,000円を切る整理ノートです。
大化の改新の解答
ポイントの整理
・唐は(律令)制を整え、高句麗に侵攻したので、周辺諸国は、(中央集権)の確立を急いだ。
・645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが(乙巳の変)で蘇我蝦夷と入鹿を滅ぼし、(大化改新)を始める。
・翌年の(「改新の詔」)では、豪族の田荘・部曲を廃止して、(公地公民制)に移行すること、地方を国と(評)を置き、(戸籍)を作り、新しい税制の実施を宣言する。
確認問題
問1、高向玄理・旻
問2、公地公民制
問3、難波宮
問4、 評
難しすぎず、教科書と同じレベルの問題集です。
天智・天武・持統の解答
・663年(白村江の戦い)で敗れた後、大宰府の北に(水城)と西日本各地に朝鮮式(山城)を築き、兵士として(防人)を置く。
・667年中大兄皇子は、(近江大津宮)に都を移し、天智天皇として即位し、最初の戸籍である(庚午年籍)を完成させる。
・(壬申の乱)で勝利した天武天皇は、(飛鳥浄御原宮)で即位し、官僚制を整え、豪族の身分を(八色の姓)に編成し、国史の編纂、富本銭の発行などを、行う。
・天武天皇の政策を引き継いだ(持統天皇)は、(飛鳥浄御原令)を施行し、戸籍の(庚寅年籍)を完成させ、中国式の都城にならった(藤原京)への遷都を行った。
確認問題
問1、乙巳の変 庚午年籍 難波宮 白村江の戦い 近江大津宮
問2、飛鳥浄御原宮 壬申の乱 八色の姓 富本銭
問3、庚寅年籍 藤原京 飛鳥浄御原令
参考書がオンラインで買える時代、先生もオンラインで選ぼう!
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飛鳥文化の解答
ポイントの整理
・飛鳥文化は、初めての(仏教文化)で、飛鳥の地に初めて(宮都)が営まれた。
・渡来人の(鞍作鳥)は、法隆寺釈迦三尊像など北魏様式の仏像をつくる。
・高句麗の僧(曇徴)は紙と墨を伝えた。
・古墳に代わり寺院の建立が、豪族のステータスになる。
・蘇我馬子は(飛鳥寺)、聖徳太子は四天王寺と法隆寺を建立する。
確認問題
問1、広隆寺半跏思唯像
問2、鞍作鳥
問3、観勒
白鳳文化の解答
ポイントの整理
・白鳳文化は、飛鳥文化に続く7C後半~8C初めの文化で、(天武)・(持統天皇)の時代が中心。
・(新羅)から伝えられた唐初期の影響をうけた仏教文化。
・律令制の完成にともない、(地方豪族)にも、漢字文化と儒教思想が受け入れられる。
・代表的な建築には薬師寺(東塔)があり、彫刻には、薬師寺(薬師三尊像)と(興福寺)仏頭などがある。
・古墳文化の終末期、大王陵には(八角墳)が見られる。
・壁画は、法隆寺金堂の壁画と、(高松塚)古墳の壁画がある。
確認問題
問1、飛鳥文化に関係あるものにA、白鳳文化に関係あるものにBと記せ。
・法隆寺釈迦三尊像(A) ・薬師寺東塔(B) ・広隆寺半跏思唯像(A)
・興福寺仏頭(B) ・天寿国繍帳(A) ・玉虫厨子(A)
・地方豪族にも漢字文化が普及(B) ・鞍作鳥など渡来人が活躍(A)
・高松塚古墳壁画(B) ・新羅から唐初期の文化(B)
次回、奈良時代の練習問題はこちらです。