大正時代の戦後恐慌から昭和恐慌まで、たくさん恐慌が登場します。
「震災恐慌」、「金融恐慌」、「農業恐慌」など、ややこしいですね。
それぞれの「恐慌」を簡単に整理して、高橋是清の活躍で大不況を脱するまでを解説します。
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昭和初期(戦前)の練習問題をこちらです。
昭和恐慌までの流れ
恐慌の種類
たくさん登場する恐慌を整理すると、こうなります。
恐慌 | 年 | 内容 |
戦後恐慌 | 1920年 | 第一次世界大戦が終わって、ヨーロッパの製品が増え、日本製品が売れなくなった。 |
震災恐慌 | 1923年 | 関東大震災で銀行が回収困難な債権を大量にかかえた。 |
金融恐慌 | 1927-28年 | 大蔵大臣の失言で、銀行がつぶれると誤解され、人々が預金を引き出そうと銀行に殺到した。 |
昭和恐慌 | 1930ー33年 | 世界恐慌の日本版。金輸出でデフレ状態になり、失業者があふれた。 |
農業恐慌 | 1931-33年 | 昭和恐慌の一部。米価下落と大凶作が重なり東北地方の農家が困窮し、 欠食児童や女子の身売りが続出した。 |
よく混乱するのが、「金融恐慌」と「昭和恐慌」のちがい。
3年後の「昭和恐慌」が、昭和最大のいちばんヤバイ大不況です。
戦後恐慌から金融恐慌まで
① 「戦後恐慌」
1920年第一次世界大戦後、ヨーロッパで工場が再開したため、日本製品が売れなくなりました。
大正時代の日本製品は、まだ欧米の製品よりショボかったのです。
② 震災恐慌
1923年関東大震災が発生し、多くの工場が被災しました。
不景気で借金を返せない工場もあるのに、多くの工場が「手形」を売りに銀行に殺到。
銀行からお金が消えそうになりました。
日本銀行が銀行から「手形」を買い取って、なんとか収まりました。
③ 金融恐慌
1927年大蔵大臣の失言で、銀行がつぶれると大騒ぎになりました。
人々は銀行からお金を引き出しに殺到。
政権交代が起こり、日本銀行が銀行にお金を貸すことで収まりました。
詳しいことは、この記事で解説しています。
昭和恐慌の発生から結果
昭和恐慌の原因
日本最悪の不景気の原因は、こんなところがあります。
- 「輸入>輸出」で日本が不景気
- 恐慌のたびにお金を刷りすぎた
- インフレのため、輸入品が高額化
- 企業の競争力が弱い
第一次世界大戦中、欧米各国が金本位制を中止しました。
日本も欧米に合わせて、1917年に金輸出を禁止しました。
1920年代の日本は3度の恐慌が発生し、日本銀行がお金を刷って収拾しました。
しかし、これは借金が減ったわけでも、不景気が解消されたわけでもありません。
不景気の解決策は、この2つがありました。
- 企業がリストラ(構造改革)をして、海外で売れる製品を作る
- 日本円の価値を上げるために、金輸出を再開する
ただし、これは国民に痛みをともなう改革でした。
昭和恐慌の発生
④ 大蔵大臣の井上準之助は、リストラ政策を断行。
リストラとは、会社がもうかる組織にするための改革をいいます。
その1つが、「金輸出解禁」です。
金輸出すると、日本円の価値が上がり、日本製品が割高になります。
売れない商品を作っていたり、借金を返せなかったりする会社がつぶれます。
井上準之助は国民生活が苦しくなると分かって、改革をしました。
⑤ しかしタイミングが最悪でした。
世界恐慌の最中だったので、輸出品の生糸が売れず、価格が急落!
「昭和恐慌」で弱い会社がどんどんつぶれ、経済的に最も弱い農家を直撃しました。
収入を絶たれた農家は、都会からの悪い商人にわが娘を売ってしまうことに!
この農家の惨状を、「農業恐慌」といいます。
⑥ この最悪の状況に、人々は黙っていたわけでは決してありません。
1930年から31年は小作争議が激増。
財閥が金輸出再禁止を見こんで、円売りドル買いをして批判を集めました。
1ドルを2円で買って、4~5円で売ったら、2倍以上のもうけがある計算です。
大蔵大臣の井上準之助と三井の団琢磨は、1932年に血盟団事件で暗殺されました。
昭和恐慌の脱出
⑦ 1931年12月大蔵大臣の高橋是清が、昭和恐慌の脱出に成功します。
まず、金輸出再禁止をした結果、輸出が絶好調に回復しました。
さらに、赤字国債で「時局匡救事業」という農村で公共事業を始めます。
また軍艦の製造も活発に行われました。
⑧ 結果、日本経済は繊維など軽工業の時代から重化学工業の時代に変わりました。
日産、日窒など新興財閥が登場したのも、このころです。
ちなみに、1930年代からナイロンなど化学繊維が登場して、製糸業は衰退しました。
昭和恐慌の結果
昭和最大の大不況と闘った2人の大蔵大臣。
井上準之助の経済政策が、間違っていたとは言い切れません。
日本が今よりもずっと貧しかった時代です。
井上財政のポイント
・日本が新しい産業で豊かになるきっかけを作った
構造改革をやっていなかったら、日本がもっと貧乏になっていた、ということです。
明治時代からの主力だった生糸は、さっぱり売れなくなりましたし。
井上財政のおかげで、高橋財政は成功したのです。
ただし、どん底日本の救世主高橋財政にも、弱点がありました。
高橋財政のポイント
・赤字国債を止めるチャンスを失くした
高橋是清は経済回復を見て、軍事費の削減を図ろうとしました。
しかし、1936年二・二六事件で、これに不満を持った青年将校に高橋是清は暗殺されました。
当時の日本は、男子普通選挙が実現し、政党内閣による政治が進んでいました。
井上準之助も高橋是清も、政党内閣時代の大蔵大臣です。
この2人の政策が、どれくらい当時の国民に理解されたのか疑問が残ります。
鬱屈した国民感情が、軍の一部の過激な思想と共鳴してしまうこともなかったかもしれません。
- 当時の教育水準が低かったこと
- 新聞が戦争報道で民衆を煽っていたこと
この2点が、国民世論を間違った方向に導きました。
政治家と財閥を襲撃しただけでは、農家の生活は良くなりません。
さて、現代の我々は、ニュースやSNSの炎上騒動を批判的に見る目をもっているだろうか。