高校日本史、昭和時代の戦中から占領期までの無料練習問題です。
1937年日中戦争から1950年朝鮮戦争前までの期間の内容を整理しています。
先取り学習、受験勉強など、ご自由にお使いください。
この記事は広告を含みます。
前の単元の問題は、こちらです。
昭和時代(戦中~占領期)の問題
歴史の勉強で大事なこと
この高校日本史シリーズで繰り返し言っていることですが、もう一度言います。
- 教科書に書いてある内容を自分で理解する
- 年代順に出来事を整理する
- 中学生に説明できるレベルまで理解する
定期考査は語句の丸暗記で乗り切れるかもしれませんが、他のテストは違います。
AIができるレベルを人間にさせても無意味だからです。
人間に求めるのは、言葉の背景を理解して、それを使いこなす力です。
日中戦争の練習問題
・軍部の政治介入
二・ニ六事件後、( )内閣は、大臣の人事や軍拡など軍の要求を受け入れて成立。
( )の改定で、南方への進出と国内の軍拡、外交では(① )に対抗してドイツと提携。
1936年( )を結び、①の国際共産主義運動への対抗。翌年イタリアが加わる。
→( )国陣営が成立。
しかし、軍と政党の反発で総辞職。
穏健派の( )内閣に陸軍が反発し、不成立。林銑十郎内閣も短命に終わる。
1937年貴族院の( )内閣が成立。軍部から民衆まで支持を集めた。
・日中戦争
1928年満州某大事件、中国の国民政府が北伐完了。
1931年( )以降、日本は中国の国民政府と敵対し、アメリカと対立。
1935年イギリスが国民政府を支援して、通貨が統一される。
関東軍は( )で華北に傀儡政権(冀東防共自治委員会)建て、国民政府と切り離そうとする。
以後、中国で抗日救国運動が高まり、1936年( )で国民政府と共産党の内戦が中断。
1937年( )で、日中両軍が衝突し、全面戦争へ
アメリカの戦争状態の国に武器など輸出しない法律を避けるため、日中両方とも正式な宣戦をしなかった。
年末、日本が首都( )を占領するが、国民政府は( )に逃れて抗戦を続ける。
1938年末、近衛首相が戦争目的を( )建設(共産主義への対抗)だと表明。
国民政府は( )を通じて、アメリカ・イギリスなどから支援を受ける。
近衛文麿、宇垣一成(かずしげ)、華北分離工作、西安事件、漢口、南京、重慶、柳条湖事件、
盧溝橋事件、連合、枢軸、上海事変、南京事件、満州事変、東亜新秩序、ソ連、援蒋ルート、
第二次世界大戦勃発の練習問題
・ファシズムの台頭
1933年ドイツでナチス政権が樹立。
1935年イタリアがエチオピアに侵攻し、国際連盟と対立。
1936年スペイン内戦をきっかけに、ドイツとイタリアが接近。
→反ソ連で日本・ドイツ・イタリアが結束( )
・第二次世界大戦の勃発
1938年ドイツがオーストリアを併合し、日本に仮想敵国にイギリス・フランス追加を提案
1939年日本では枢密院議長の( )内閣が成立。
張鼓峰事件と( )で満州国とソ連の国境で、日本軍とソ連軍が衝突。
その最中、ドイツがソ連と( )を締結。→内閣が総辞職
同年9月、ドイツがポーランド侵攻をきっかけに、第二次世界大戦が勃発。
当初、阿部信行内閣と米内光政(よないみつまさ)内閣はドイツとの軍事同盟に慎重。
同年7月、アメリカが日本の( )に反対して、( )の破棄を宣言。
→円ブロック(日本、植民地、満州、中国占領地)だけでは軍需物資が不足
・三国同盟の成立
1940年6月までドイツがオランダ、フランスを占領。イギリスだけがドイツと抗戦。
1940年7月第二次( )内閣が成立し、ドイツ・イタリア・ソ連との提携強化し、
ドイツに降伏したヨーロッパ諸国の植民地を占領し、石油、ゴムなど資源を確保する( )を決定。
9月日本軍が北部仏印に進駐し、( )が成立。
同年末、外相松岡洋右(まつおかようすけ)が( )を結ぶ。
アメリカは航空機ガソリンや屑鉄の対日輸出禁止をとる。
日独伊三国同盟、独ソ不可侵条約、ノモンハン事件、日米通商航海条約、日米修好通商条約、
大東亜共栄圏、日ソ共同宣言、日ソ中立条約、
戦時統制の練習問題
・経済統制
広田弘毅内閣から軍事支出が急増。
第1次( )内閣は、臨時資金調整法・輸出入品等臨時措置法で軍需産業を優先。
→経済関係の官僚と軍部が結びつき、軍事費の増加がインフレをまねく。
1938年( )が成立。政府は議会の承認なしに物資や労働力を動員できる。
政府が民間企業への統制を始め、中小企業も強制的に整理された。
1938年度から( )が物資動員計画を作成を開始。
1939年平沼騏一郎内閣のとき、( )によって一般国民を軍需産業に動員。
財閥系の大企業は1944年まで軍需品生産で莫大な利益を上げた。
・配給制
民需品の生産と輸入は厳しく制限され、品不足に陥った。
1939年( )で公定価格制を導入し、国民に「ぜいたくは敵だ」と消費の切り詰めを要求。
1940年( )でぜいたく品の製造・販売を禁止。
→砂糖・マッチなどの( )、翌年に米の( )を開始。
1940年から政府による米の強制買い上げ制度( )を実施。
→小作料制限、生産者への米価優遇したが、1939年から食料生産が低下し始める
・思想統制
1937年から( ):軍国主義を盛り上げ、国民に戦争協力をうながす。
1937年矢内原事件など、学者が政府批判したことで大学を追放され、本が発禁となる。
1938年から40年、( )を結成させ、既存の労働組合を解体させる。
1940年( )を設置し、出版物、ラジオ、映画などを戦争遂行に利用。
1935年「日本浪漫派」:日本の伝統文化・思想へ回帰
日中戦争期:全体主義が主流になり、東亜新秩序、大東亜共栄圏、統制経済論など展開。
昭和初期、横光利一、川端康成ら( )が登場。
1930年代前半( )が壊滅し、中野重治ら( )に変化。
・新体制運動(日本版ファシズム)
1940年( )が新体制運動を展開し、ナチスやファシスト党にならい、
戦争遂行のためすべての政党を解体して、一大政党に全国民を団結させることを目指す。
「親英米派」と呼ばれた議員が、軍部などから攻撃を受ける。
同年10月、( )が結成。総裁が総理大臣で、各支部長が道府県知事、
下部組織に部落会・町内会・( )を置く、官製の上意下達機関。
その後、大日本産業報国会などあらゆる団体を傘下に置く。
1941年小学校が( )に改称され、戦時教育をすすめる。
朝鮮・台湾でも( )により、日本語教育が徹底され、姓名も日本風に改めさせる。
価格等統制令、切符制、配給制、産業報国会、転向文学、新体制運動、国民精神総動員運動、隣組、
近衛文麿、国民学校、プロレタリア文学、火野葦平、
太平洋戦争の練習問題
・日米交渉の決裂
当初は戦争を避けるため、駐米大使( )が( )国務長官と交渉。
1941年7月対米強硬派の( )を除くため、第3次近衛内閣を結成。
同じころ、( )への進駐を開始。
これに対して、アメリカは在米日本資産凍結と対日石油輸出禁止を決定。
9月御前会議の( )で、事実上の対米開戦を決定。
10月日米交渉が難航し、( )は交渉妥結を、( )は対米開戦を主張して対立。
( )が内閣総辞職し、( )内閣が成立。
11月アメリカの要求( )は中国・仏印からの撤退など満州事変以前の状態に戻すこと。
12月1日御前会議で、米・英に対する開戦を決定。
・太平洋戦争の展開
12月8日海軍が( )を、陸軍がマレー半島を攻撃し、宣戦布告。
当初、政府はアメリカ・イギリスへの自衛措置と説明。
初戦の勝利に国民が熱狂し、欧米植民地からのアジア解放と変わり、戦線が拡大。
1942年4月総選挙( )が実施され、政府支援の候補者で絶対多数を獲得。
議会は政府提案に承認を与えるだけだが、形式上、憲法と議会は停止されなかった。
1942年6月( )で日本が大敗し、43年9月絶対国防圏まで後退。
1944年7月( )が陥落し、( )内閣が総辞職。
→日本本土への空襲が始める
・国民生活の疲弊
1943年( )で文系学生を軍に徴集。
軍隊に多くの男性が動員され、労働力不足を補うため女子学生が軍需工場に動員( )。
1944年から米軍機の空襲をさけるため、国民学校生の( )を開始。
衣料品は( )を敷かれたが、モノがない状況になり、
米の配給もいも、小麦粉など代用品が増えた。
・敗戦
1943年イタリアが降伏、1945年5月ドイツが降伏。
1943年( )でアメリカ・イギリス・中国が会談し、日本の全植民地はく奪を決定。
1945年2月( )でアメリカ・イギリス・ソ連が会談し、ソ連の対日参戦を決定。
3月-6月( )で島民を巻き込む戦いの末、敗北。( )内閣が総辞職。
侍従長の( )内閣が成立。
7月ドイツでアメリカ・イギリス・中国が日本への無条件降伏を勧告する( )を発表。
8月アメリカが2発の( )を投下。
8月ソ連が参戦し、( )に侵入。
8月14日政府が連合国に( )受諾を通知。翌日、ラジオ放送で全国民に発表。
9月2日東京湾内のアメリカ軍艦で、日本政府と軍代表者が降伏文書に署名。
原子爆弾、ヤルタ会談、小磯国昭(こいそくにあき)、東条英機、カイロ、サイパン島、グアム島、
満州・朝鮮、北方領土、近衛文麿、鈴木貫太郎、真珠湾、大東亜会議、ハル=ノート、野村吉三郎、
ハル、ミッドウェー海戦、沖縄戦、ポツダム宣言、南部仏印、松岡洋右、学童疎開、従軍慰安婦、
レイテ島、帝国国策要綱、
占領政策の練習問題
・初期占領政策
日本の占領は、ほぼアメリカ軍単独で行われた。
( )を最高司令官とする( )(GHQ)が指令し、日本政府が実行する間接統治が行われ、占領軍の指令は憲法をしのぐ超法規的性格を持った。
当初の目的は、日本の非軍事化・民主化で、再びアメリカの脅威なることを防止。
皇族の東久邇宮稔彦内閣が、1945年8月末連合国軍の受け入れ、日本軍の武装解除、などを進めた。
同年10月、GHQは( )で、治安維持法と特別高等警察の廃止、共産党員など釈放を指令。
ただし、( )で占領軍への批判は禁止され、新聞は検閲を受けた。
( )内閣に対して、マッカーサーは( )改正と五大改革を指示。
( )の付与、( )の結成奨励、教育制度の改革、秘密警察の廃止、経済機構の民主化
ついで政府による国家神道への介入を禁止。
・財閥解体と農地改革
1945年11月財閥の資産凍結と解体を命令。
翌年、( )によって、指定の持株会社や財閥家族が所有する株式を譲渡させ、一般に販売。
1947年( )で持株会社を禁止する。
( )により巨大独占企業が分割されたが、限定的。
第1次( )内閣のとき、自作農創設特別措置法により第二次( )が進む。
一定面積の貸付地を強制的に買い上げ、寄生地主の解体に成功。
・労働組合の結成
1945年12月( )で、団結権、団体交渉権、争議権を保障。
1946年( )を制定。
1947年( )で、8時間労働制など労働条件を規定。
・教育改革
1945年10月教科書の不適当な記述を削除し、修身・日本歴史などの授業を一時中止。
アメリカ教育使節団の勧告のより、1947年( )を制定。
4月から教育の機会均等と男女共学を原則に、6・3・3・4年制へ移行。
1948年各都道府県に教育委員会を設置(当初、委員は公選)
・女性参政権
1945年12月衆議院選挙法の改正し、( )を認定。
選挙権は満20歳以上の男女に
・政党の復活
旧立憲政友会→( )、旧立憲民政党→日本進歩党のち( )
旧無産政党ら→( )、日本共産党→徳田球一ら中心に合法化
他、労資協調を掲げる日本協同党。
1946年1月GHQの( )により、翼賛選挙の推薦議員が失格。
4月総選挙で( )が第一党になり、第1次( )内閣が成立。
・憲法改正
1945年10月( )内閣はGHQの指示を受け、政府内に憲法問題調査委員会を設置。
1946年2月、政府の改正案が保守的だたため、マッカーサー草案を土台とした。
手続き上、大日本帝国憲法の改正とされ、衆議院と貴族院で修正可決される。
1946年11月( )として公布。
多くの法律をこれに合わせて改正された。
1947年( )で男女同権の家族制度が成立。
1947年( )で都道府県知事と市長村長が公選となり、内務省を廃止。
日本社会党、教育基本法、労働組合、労働組合法、農地改革、人権指令、独占禁止法、日本国憲法、
マッカーサー、公職追放、過度経済力集中排除法、労働関係調整法、連合国軍最高司令官総司令部、
女性参政権、地方自治法、民法、労働基準法、東京裁判、持株会社整理委員会、憲法、
昭和時代(戦中~占領期)の年表
内閣 | 出身 | できごと |
( ) | 官僚 | 1936年( )で、軍備拡大を決定 ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の失効のため 11月( )でソ連に対抗。 12月中国で( )→内戦が止まる |
林銑十郎 | 陸軍 | 文部省「国体の本義」を配布→思想統制を始める |
第1次( ) | 貴族院 | 1937年7月( )事件→日中戦争へ 臨時資金調整法、輸出入品等臨時調整法を公布 9月第2次( )→抗日民族統一戦線の結成 10月企画院を設置 国民精神総動員運動を開始 12月( )を占領 矢内原事件→自由主義やファシズム批判の弾圧を始める 1938年4月( )を制定→政府による物資統制が始まる 7月張鼓峰事件→日ソの軍事衝突 ( )の結成→すべての労働組合が廃止 11月( )の建設を表明 |
( ) | 官僚 | 1939年5月( )事件、ソ連に大敗 7月アメリカが( )に反対して、日米通商航海条約の破棄を通告 7月( )を公布→軍需産業への動員 8月( )で、欧州情勢に対応しきれないとして総辞職 |
阿部信行 | 陸軍 | 1939年9月ドイツがポーランドに侵攻し( )が勃発 10月( )を公布、民需品不足のため政府が公定価格を導入 |
( ) | 海軍 | 1940年日米通商航海条約が失効 3月( )の傀儡政権が樹立。ただし貧弱。 6月近衛が( )を提唱 7月( )→ぜいたく品の販売禁止 |
第2次第3次( ) | 貴族院 | 1940年6月砂糖・マッチの( ) 9月北部仏印に進駐 ( )に調印→アメリカに対抗 10月米の( )を開始 10月( )が発足→実態は政府の指示を各家庭に伝える機関 1941年3月小学校を国民学校と改称 4月( )に調印 米の( )を開始 日米交渉を進める。 7月南部仏印に進駐→アメリカが対日石油輸出禁止 9月「帝国国策遂行要領」:日米交渉決裂のとき、開戦すると決定 |
( ) | 陸軍 | 1941年11月アメリカが「 」を提示 12月ハワイ( )→太平洋戦争へ 1942年( )の実施、政府の推薦議員が多数当選 4月( )で敗北→戦局が不利になり始める 1943年大東亜会議を開催 カイロ宣言:日本のほぼすべての植民地はく奪を決める 12月( )文系学生の徴兵を開始 1944年6月( ):空襲に備えて集団疎開を開始 7月( )が陥落→本土空襲、総辞職 |
( ) | 陸軍 | 1944年8月( )学生・未婚女性を軍需工場へ動員 1945年2月( )でソ連の対日参戦を決定 6月( )でアメリカに敗北→総辞職 |
( ) | 海軍・侍従 | 1945年7月( ):日本へ無条件降伏を要求 8月広島・長崎に原爆投下、ソ連が対日参戦 8月14日ポツダム宣言受諾を決定→翌日、ラジオ放送で伝える |
東久邇宮稔彦 | 皇族 | 8月連合国軍の最高司令官( )が来日 9月アメリカ軍艦ミズーリ号で、降伏文書に調印 ( )で占領軍への批判を禁止 |
( ) | 元外務大臣 | 10月口頭で改憲と( )を指令 ( )で治安維持法と特別高等警察を廃止、政治犯の釈放 神道指令で政府と神道の分離 教科書の軍国主義的内容の削除 11月財閥の資産凍結と解体を指令 12月労働組合法を公布、衆議院選挙法の改正 1946年1月天皇の人間宣言:神格化を否定 ( )の指令→戦争協力者約21万人が対象 4月衆議院選挙→( )が実現 5月( )が開廷、A級戦犯などを裁く |
第1次( ) | 日本自由党 | 1946年8月( )の発足→財閥解体が始まる 9月労働関係調整法の公布 10月自作農創設特別措置法の公布→第2次( )が進む 11月( )の公布 1947年1月、二・一ゼネストの中止命令 3月( )・学校教育法の公布 4月( )( )( )を公布 5月日本国憲法の施行 |
( ) | 日本社会党 | 1947年労働省を設置 12月過度経済力集中排除法、( )の改正、内務省の廃止 |
( ) | 民主党 | 1948年7月教育委員会法を公布 10月昭和電工事件により総辞職 |
首相名
幣原喜重郎、片山哲、東条英機、鈴木貫太郎、松岡洋右、芦田均(あしだひとし)、片山潜、
できごと
切符制、日独伊三国同盟、供出制、日ソ中立条約、ハル=ノート、プレス=コード、翼賛選挙、
配給制、ミッドウェー海戦、学徒出陣、学童疎開、サイパン島、盧溝橋事件、国共合作、南京、
国家総動員法、東亜新秩序、ノモンハン事件、独ソ不可侵条約、汪兆銘、新体制運動、七七禁令、
第二次世界大戦、価格等統制令、産業報国会、帝国国防方針の改定、日独防共協定、西安事件、
国民徴用令、大政翼賛会、真珠湾攻撃、勤労動員、ヤルタ会談、沖縄戦、ポツダム宣言、五大改革、
マッカーサー、人権指令、女性参政権、持株会社整理委員会、
昭和時代(戦中~占領期)の解答
日中戦争の解答
・軍部の政治介入
二・ニ六事件後、(広田弘毅)内閣は、大臣の人事や軍拡など軍の要求を受け入れて成立。
(帝国国防方針)の改定で、南方への進出と国内の軍拡、外交では(①ソ連)に対抗してドイツと提携。
1936年(日独防共協定)を結び、①の国際共産主義運動への対抗。翌年イタリアが加わる。
→(枢軸)国陣営が成立。
しかし、軍と政党の反発で総辞職。
穏健派の(宇垣一成)内閣に陸軍が反発し、不成立。林銑十郎内閣も短命に終わる。
1937年貴族院の(近衛文麿)内閣が成立。軍部から民衆まで支持を集めた。
・日中戦争
1928年満州某大事件、中国の国民政府が北伐完了。
1931年(満州事変)以降、日本は中国の国民政府と敵対し、アメリカと対立。
1935年イギリスが国民政府を支援して、通貨が統一される。
関東軍は(華北分離工作)で華北に傀儡政権(冀東防共自治委員会)建て、国民政府と切り離そうとする。
以後、中国で抗日救国運動が高まり、1936年(西安事件)で国民政府と共産党の内戦が中断。
1937年(盧溝橋事件)で、日中両軍が衝突し、全面戦争へ
アメリカの戦争状態の国に武器など輸出しない法律を避けるため、日中両方とも正式な宣戦をしなかった。
年末、日本が首都(南京)を占領するが、国民政府は(重慶)に逃れて抗戦を続ける。
1938年末、近衛首相が戦争目的を(東亜新秩序)建設(共産主義への対抗)だと表明。
国民政府は(援蒋ルート)を通じて、アメリカ・イギリスなどから支援を受ける。
教科書よりもやさしい参考書です。
第二次世界大戦勃発の解答
・ファシズムの台頭
1933年ドイツでナチス政権が樹立。
1935年イタリアがエチオピアに侵攻し、国際連盟と対立。
1936年スペイン内戦をきっかけに、ドイツとイタリアが接近。
→反ソ連で日本・ドイツ・イタリアが結束(日独伊三国防共協定)
・第二次世界大戦の勃発
1938年ドイツがオーストリアを併合し、日本に仮想敵国にイギリス・フランス追加を提案
1939年日本では枢密院議長の(平沼騏一郎)内閣が成立。
張鼓峰事件と(ノモンハン事件)で日本軍とソ連軍が衝突。
その最中、ドイツがソ連と(独ソ不可侵条約)を締結。→内閣が総辞職
同年9月、ドイツがポーランド侵攻をきっかけに、第二次世界大戦が勃発。
当初、阿部信行内閣と米内光政(よないみつまさ)内閣はドイツとの軍事同盟に慎重。
同年7月、アメリカが日本の(東亜新秩序)に反対して、(日米通商航海条約)の破棄を宣言。
→円ブロック(日本、植民地、満州、中国占領地)だけでは軍需物資が不足
・三国同盟の成立
1940年6月までドイツがオランダ、フランスを占領。イギリスだけがドイツと抗戦。
1940年7月第二次(近衛文麿)内閣が成立し、ドイツ・イタリア・ソ連との提携強化し、
ドイツに降伏したヨーロッパ諸国の植民地を占領し、石油、ゴムなど資源を確保する(南進政策)を決定。
9月日本軍が北部仏印に進駐し、(日独伊三国同盟)が成立。
同年末、外相松岡洋右(まつおかようすけ)が(日ソ中立条約)を結ぶ。
アメリカは航空機ガソリンや屑鉄の対日輸出禁止をとる。
教科書の暗記が嫌いな人におすすめ!
戦時統制の解答
・経済統制
広田弘毅内閣から軍事支出が急増。
第1次(近衛文麿)内閣は、臨時資金調整法・輸出入品等臨時措置法で軍需産業を優先。
→経済関係の官僚と軍部が結びつき、軍事費の増加がインフレをまねく。
1938年(国家総動員法)が成立。政府は議会の承認なしに物資や労働力を動員できる。
政府が民間企業への統制を始め、中小企業も強制的に整理された。
1938年度から(企画院)が物資動員計画を作成を開始。
1939年平沼騏一郎内閣のとき、(国民徴用令)によって一般国民を軍需産業に動員。
財閥系の大企業は1944年まで軍需品生産で莫大な利益を上げた。
・配給制
民需品の生産と輸入は厳しく制限され、品不足に陥った。
1939年(価格等統制令)で公定価格制を導入し、国民に「ぜいたくは敵だ」と消費の切り詰めを要求。
1940年(七・七禁令)でぜいたく品の製造・販売を禁止。
→砂糖・マッチなどの(切符制)、翌年に米の(配給制)を開始。
1940年から政府による米の強制買い上げ制度(供出制)を実施。
→小作料制限、生産者への米価優遇したが、1939年から食料生産が低下し始める
・思想統制
1937年から(国民精神総動員運動):軍国主義を盛り上げ、国民に戦争協力をうながす。
1937年矢内原事件など、学者が政府批判したことで大学を追放され、本が発禁となる。
1938年から40年、(産業報国会)を結成させ、既存の労働組合を解体させる。
1940年(内閣情報局)を設置し、出版物、ラジオ、映画などを戦争遂行に利用。
1935年「日本浪漫派」:日本の伝統文化・思想へ回帰
日中戦争期:全体主義が主流になり、東亜新秩序、大東亜共栄圏、統制経済論など展開。
昭和初期、横光利一、川端康成ら(新感覚派)が登場。
1930年代前半(プロレタリア文学)が壊滅し、中野重治ら(転向文学)に変化。
・新体制運動(日本版ファシズム)
1940年(近衛文麿)が新体制運動を展開し、ナチスやファシスト党にならい、
戦争遂行のためすべての政党を解体して、一大政党に全国民を団結させることを目指す。
「親英米派」と呼ばれた議員が、軍部などから攻撃を受ける。
同年10月、(大政翼賛会)が結成。総裁が総理大臣で、各支部長が道府県知事、
下部組織に部落会・町内会・(隣組)を置く、官製の上意下達機関。
その後、大日本産業報国会などあらゆる団体を傘下に置く。
1941年小学校が(国民学校)に改称され、戦時教育をすすめる。
朝鮮・台湾でも(皇民化政策)により、日本語教育が徹底され、姓名も日本風に改めさせる。
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太平洋戦争の解答
・日米交渉の決裂
当初は戦争を避けるため、駐米大使(野村吉三郎)が(ハル)国務長官と交渉。
1941年7月対米強硬派の(松岡洋右)を除くため、第3次近衛内閣を結成。
同じころ、(南部仏印)への進駐を開始。
これに対して、アメリカは在米日本資産凍結と対日石油輸出禁止を決定。
9月御前会議の(帝国国策要綱)で、事実上の対米開戦を決定。
10月日米交渉が難航し、(近衛文麿)は交渉妥結を、(東条英機)は対米開戦を主張して対立。
(近衛文麿)が内閣総辞職し、(東条英機)内閣が成立。
11月アメリカの要求(ハル=ノート)は中国・仏印からの撤退など満州事変以前の状態に戻すこと。
12月1日御前会議で、米・英に対する開戦を決定。
・太平洋戦争の展開
12月8日海軍が(真珠湾)を、陸軍がマレー半島を攻撃し、宣戦布告。
当初、政府はアメリカ・イギリスへの自衛措置と説明。
初戦の勝利に国民が熱狂し、欧米植民地からのアジア解放と変わり、戦線が拡大。
1942年4月総選挙(翼賛選挙)が実施され、政府支援の候補者で絶対多数を獲得。
議会は政府提案に承認を与えるだけだが、形式上、憲法と議会は停止されなかった。
1942年6月(ミッドウェー海戦)で日本が大敗し、43年9月絶対国防圏まで後退。
1944年7月(サイパン島)が陥落し、(東条英機)内閣が総辞職。
→日本本土への空襲が始める
・国民生活の疲弊
1943年(学徒出陣)で文系学生を軍に徴集。
軍隊に多くの男性が動員され、労働力不足を補うため女子学生が軍需工場に動員(勤労動員)。
1944年から米軍機の空襲をさけるため、国民学校生の(学童疎開)を開始。
衣料品は(総合切符制)を敷かれたが、モノがない状況になり、
米の配給もいも、小麦粉など代用品が増えた。
・敗戦
1943年イタリアが降伏、1945年5月ドイツが降伏。
1943年(カイロ)でアメリカ・イギリス・中国が会談し、日本の全植民地はく奪を決定。
1945年2月(ヤルタ会談)でアメリカ・イギリス・ソ連が会談し、ソ連の対日参戦を決定。
3月-6月(沖縄戦)で島民を巻き込む戦いの末、敗北。(小磯国昭)内閣が総辞職。
侍従長の(鈴木貫太郎)内閣が成立。
7月ドイツでアメリカ・イギリス・中国が日本への無条件降伏を勧告する(ポツダム宣言)を発表。
8月アメリカが2発の(原子爆弾)を投下。
8月ソ連が参戦し、(満州・朝鮮)に侵入。
8月14日政府が連合国に(ポツダム宣言)受諾を通知。翌日、ラジオ放送で全国民に発表。
9月2日東京湾内のアメリカ軍艦で、日本政府と軍代表者が降伏文書に署名。
占領政策の解答
・初期占領政策
日本の占領は、ほぼアメリカ軍単独で行われた。
(マッカーサー)を最高司令官とする(連合国軍最高司令官総司令部)(GHQ)が指令し、日本政府が実行する間接統治が行われ、占領軍の指令は憲法をしのぐ超法規的性格を持った。
当初の目的は、日本の非軍事化・民主化で、再びアメリカの脅威なることを防止。
皇族の東久邇宮稔彦内閣が、1945年8月末連合国軍の受け入れ、日本軍の武装解除、などを進めた。
同年10月、GHQは(人権指令)で、治安維持法と特別高等警察の廃止、共産党員など釈放を指令。
ただし、(プレス=コード)で占領軍への批判は禁止され、新聞は検閲を受けた。
(幣原喜重郎)内閣に対して、マッカーサーは(憲法)改正と五大改革を指示。
(女性参政権)の付与、(労働組合)の結成奨励、教育制度の改革、秘密警察の廃止、経済機構の民主化
ついで政府による国家神道への介入を禁止。
・財閥解体と農地改革
1945年11月財閥の資産凍結と解体を命令。
翌年、(持株会社整理委員会)によって、指定の持株会社や財閥家族が所有する株式を譲渡させ、一般に販売。
1947年(独占禁止法)で持株会社を禁止する。
(過度経済力集中排除法)により巨大独占企業が分割されたが、限定的。
第1次(吉田茂)内閣のとき、自作農創設特別措置法により第二次(農地改革)が進む。
一定面積の貸付地を強制的に買い上げ、寄生地主の解体に成功。
・労働組合の結成
1945年12月(労働組合法)で、団結権、団体交渉権、争議権を保障。
1946年(労働関係調整法)を制定。
1947年(労働基準法)で、8時間労働制など労働条件を規定。
・教育改革
1945年10月教科書の不適当な記述を削除し、修身・日本歴史などの授業を一時中止。
アメリカ教育使節団の勧告のより、1947年(教育基本法)を制定。
4月から教育の機会均等と男女共学を原則に、6・3・3・4年制へ移行。
1948年各都道府県に教育委員会を設置(当初、委員は公選)
・女性参政権
1945年12月衆議院選挙法の改正し、(女性参政権)を認定。
選挙権は満20歳以上の男女に
・政党の復活
旧立憲政友会→(日本自由党)、旧立憲民政党→日本進歩党のち(民主党)
旧無産政党ら→(日本社会党)、日本共産党→徳田球一ら中心に合法化
他、労資協調を掲げる日本協同党。
1946年1月GHQの(公職追放)により、翼賛選挙の推薦議員が失格。
4月総選挙で(日本自由党)が第一党になり、第1次(吉田茂)内閣が成立。
・憲法改正
1945年10月(幣原喜重郎)内閣はGHQの指示を受け、政府内に憲法問題調査委員会を設置。
1946年2月、政府の改正案が保守的だたため、マッカーサー草案を土台とした。
手続き上、大日本帝国憲法の改正とされ、衆議院と貴族院で修正可決される。
1946年11月(日本国憲法)として公布。
多くの法律をこれに合わせて改正された。
1947年(民法)で男女同権の家族制度が成立。
1947年(地方自治法)で都道府県知事と市長村長が公選となり、内務省を廃止。
幣原喜重郎の幣原外交とは何か?
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