高校日本史、奈良時代の練習問題です。
歴史が苦手な人、模試で40点以下だった人でも、教科書の内容が理解できるように作りました。
時代は8世紀、大宝律令が完成して、平安京に移る直前までの流れを整理しています。
唐を手本に政治をしたが、10年おきの政争で藤原氏とその他が対立、聖武天皇は仏教の力で国を治めようとするが、坊主が権力を握って政治が乱れた、という話です。
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前回、飛鳥時代の練習問題はこちらです。
日本史(奈良時代)の練習問題
歴史は暗記科目ではない
歴史は暗記科目ではありません。
教科書と資料集の内容を理解しているかが問われます。
共通テストでは、理解したことをもとに正解を導き出す国語力も試されます。
この練習問題は、次のようにお使いください。
- 調べながら解いたり、2回以上解いてもOK
- 年表で出来事を整理する
- ポイントの整理は音読する
大宝律令の練習問題
大宝律令は日本の政治システムの元祖です。官位5位以上が貴族、6位以下がサムライ(軍人・文人)。
公卿は現代の内閣のようなものです。
10世紀には機能しなくなりますが、形式は現代の日本まで残っています。
ポイントの整理
・( )年、刑部親王と藤原不比等により大宝律令が完成し、倭国から ( )と称する。
・( )は現在の刑法にあたり、( )は官吏の勤務規定、人民の租税などの行政法にあたる。
・中央組織は、行政全般を管理する( )のもと、太政大臣、左大臣、右大臣、大納言ら( )の合議で進められる。
・地方は、中央の貴族から派遣された( )が( )を拠点に行政を行い、郡は伝統的な地方の豪族が( )に任じられる。
・九州の要地には外交・軍事の拠点となる( )がおかれ、難波には( )がおかれる。
・官吏は、位階に応じて官職を任じられ、封戸・田地・禄などの給与があり、( )、( )、( )は免除され、父が五位以上の官職に着いた場合、蔭位(おんい)の制により、子にも官職が与えられた。
・刑罰は笞・杖・徒・流・死の( )で、官吏は免職や代償を納めることで実刑を逃れられるが、( )など重大な犯罪は重罰を逃れられない。
八虐、大宰府(だざいふ)、日本、摂津職(せっつしき)、公卿(くぎょう)、
太政官(だいじょうかん)、衛府(えふ)、弾正台(だんじょうだい)、令、律、格、式、
確認問題
問1、701年に大宝律令を完成させたのは誰か。
問2、中央の政治は、だれの合議により進められたか。
問3、官吏の待遇について適切なものをすべて選べ。
ア 官職と位階に応じて、封戸・田地・禄などの給与があった。
イ 官吏も調・庸・防人など負担は逃れられなかった。
ウ 八虐でも官吏は、免職や代償の支払いで重罰は逃れられた。
エ 五位以上の官僚の子は、蔭位の制により官職が与えられた。
オ 笞・杖・徒・流・死の五刑は、免職や代償を納めることで実刑を逃れられた。
ポイントの整理
・地方豪族は、6年ごとに( )を作成し、( )歳以上の( )に口分田を与え、死後返還を義務付けた。これを( )という。
・諸国に口分田の収穫の3%を納めさせるのを( )といった。特産物を納めるのを( )、布・糸を納めさせるのを( )といい、成年男子にはこれらを都まで運ぶ運脚という義務があった。
・国司の命令で年60日間、労働を課せられることを( )といい、男子の3~4人に1人の割合で( )につく兵役があり、その期間中、武器・食料は原則( )である。
・国が春に稲を貸し付け、秋に高利子で徴収を行ったのを( )といい、重要な財源のひとつだった。
・一般民衆を( )といい、奴婢などを( )といったが人口に占める割合は少ない。
重要問題
問1、班田収授法では、何歳以上の誰に何を貸したか。
問2、租・庸・調の税のうち、運脚で都まで運ばなければいけなかったのは何か。
問3、国が春に稲を貸し付け、秋に高利子で徴収を行ったのを何というか。
遣唐使の練習問題
遣唐使は中国だけでなく、インド・西アジアの文化も伝え、政治家としても活躍します。
ポイントの整理
・唐はシルクロードを通じて( )の文化が入り、遣唐使を通じて日本の正倉院にも、この痕跡が見える。
・唐の都( )は人口100万人を超える国際都市で、その都城は奈良時代の( )や( )の上京竜泉府などに影響を与えた。
・日本は唐だけでなく、新羅や旧高句麗のあった( )とも交流した。
・唐に渡った留学生のうち、( )と( )は聖武天皇の時代に政界で活躍する。
・玄宗皇帝に重用された阿倍仲麻呂は、生涯唐で暮らした。その同じ時代、インドのナ―ランダ僧院で大乗仏教を勉強した玄奘(三蔵法師)が、「般若心経」などの仏典の中国語訳を行う。後平安初期の密教のモトになる。
確認問題
問1、唐はシルクロードを通じて、インドやヨーロッパの他に、どんな地域の文化がたくさん入ったか。
問2、奈良の平城京のモデルとなった、唐の都はどこか。
問3、奈良時代の留学生のうち、政界で活躍した人物を二人挙げよ。
奈良と地方の様子についての練習問題
奈良の平城京だけでなく、各地方を結ぶ道もできた。
ポイントの整理
・平城京は中国にならった碁盤目状の( )をとり、内裏・官庁・皇族・貴族の屋敷、大寺院、官営の( )があった。
・708年武蔵国から銅が献上され、( )を鋳造し初め、10C 半ばまで政府が鋳造した貨幣を( )という。政府も( )を出し、貨幣の流通を促すが、近畿地方にとどまる。
・都と地方との間には( )が整備され、( )が設けられ、官吏が主に交通に使った。
・地方では( )が政治・経済・文化の中心地で、( )が建てられた。
・九州は( )を平定し大隅国を置き、東北地方は日本海側を中心に( )を平定し秋田城を築き、太平洋側は( )を築いた。
確認問題
問1、和同開珎から10C半ばまで日本で鋳造された貨幣をまとめて何というか。
問2、国家が貨幣の流通を促した法を何というか。
問3、官道には約16キロごとに何が置かれたか。
問4、聖武天皇の時代に各地方の国府に何が建てられたか。
問5、九州の南の何と呼ばれる人たちを平定したか。
問6、蝦夷平定の拠点として太平洋側に何が築かれたか。
奈良時代の政争についての練習問題
藤原氏VSその他の争いの結果、坊主に権力を奪われそうになって、取り返した。
1,空欄に入る語句を選んでください。
天皇 | 藤原 | 皇族・その他 | できごと |
文武(もんむ) | 不比等(ふひと) | 701大宝律令 | |
元明(げんめい) | 710平城京、せんとくん | ||
元正(げんしょう) | 長屋王 | 721長屋王、右大臣 723三世一身法を制定 | |
聖武(しょうむ) | 四子(むちまろ・ふささき・うまかい・まろ) | 729( ):藤原四子(不比等の息子4人)の陰謀で、自殺させる 同年、( )(不比等の娘)が皇后になる 737 四子が天然痘で死ぬ | |
橘諸兄(たちばなのもろえ) 玄昉(げんぼう) 吉備真備(きびのまきび) | 740、( ):橘諸兄らの排除を要求して、九州で反乱を起こす。 740~45、聖武天皇、ぐるぐる引っ越し 743こんでええねん私財法 743大仏づくり開始 | ||
孝謙(こうけん) | 仲麻呂(南家) えみのおしかつ | 752大仏完成 757( ):諸兄の子が、仲麻呂を排除しようとしたが、逆に滅ぼされた 758仲麻呂は恵美押勝の名をもらう | |
淳仁(じゅんにん) | 764( ):仲麻呂は光明皇后の後ろ盾を失い挙兵したが失敗 | ||
称徳(しょうとく) 孝謙の重祚 | 道鏡 | 765道鏡が太政大臣禅師に 769宇佐八幡宮神託事件:道鏡は天皇になろうとしたが、和気清麻呂が阻止 | |
光仁(こうにん) | 百川(式家) 永手(北家) | 百川らが、律令制の立て直しをはかる |
語句
ポイントの整理
・奈良時代の政争は( )の子孫と皇族などとの対立が基本で、10年くらいの間隔で政変が起きた。
・ちなみに最長期政権は、( )らの約20年間。
・( )は聖武天皇の皇后、光明子の後ろ盾で政権を握るが、娘の( )が僧の( )を寵愛したので、( )で滅ぼされる。
・( )は和気清麻呂によって排除され、再び( )のもとで、律令制の再建を図る。
・平安時代初期は、藤原氏の式家と北家が中心になる。
確認問題
問1、奈良時代、政権の中心にいた人物を時代順に並べよ。721-29年( )、729ー737年( )、737-756年( )、
757ー764年( )、765-770年( )
問2、奈良時代の政変や事件を時代順に並べ、その内容を選択せよ。
西暦 | 政変・事件 | 内容 |
729 | ||
740 | ||
757 | ||
764 | ||
769 |
内容
イ、皇族の橘諸兄らの排除を求めて、九州で挙兵したが失敗
ウ、不比等の息子4人が謀って、皇族のひとりを自殺させた政変
エ、宇佐八幡宮の神託を信じ、僧に皇位をゆずろうとした事件
オ、皇族の息子が、藤原南家の人物を倒そうとして、逆に滅ぼされた政変
奈良時代の土地制度についての練習問題
公出挙という借金は民衆が口分田を手放す原因だったが、私有地を認めて何とか税収を増やそうとした。
ポイントの整理
・竪穴式住居から( )が普及。民衆の婚姻は( )で、女性の権限が強かった。( )の普及で人口増加と口分田の不足。
・重税から逃れるため、口分田を捨てる( )や勝手に僧になる( )が増加し、調・庸の質が悪化する。
・723年( )で、三世代までの私有を認める。また743年( )で永年にわたる私有を認めるが、身分による開墾地の制限があり、租の納税が義務付けられた輸租田である。
・( )は国司・郡司の協力を得て、農民・浮浪者を使って開拓を行うが、10世紀に律令制が衰退してなくなった。
重量有輪犂、鉄製農具、牛馬、大寺院、
確認問題
問1、口分田が不足し人口増加したのは、何が普及したためか。
問2、男性が女性の家に通う形の婚姻を何というか。
問3、新たな開墾地について三世代までの私有地の所有を認めた法令を何というか。
問4、墾田永年私財法の結果、貴族・寺社の何が増えたか。
天平文化の練習問題
唐の影響をかなり受けたが、仏教は学問であり現実社会の問題を解決するためのものだった。
ポイントの整理
・天平文化は、聖武天皇の時代を中心とし、特徴として平城京の高度な( )で、( )の影響をうけた国際色豊かな文化である。
・官吏養成のため、諸国に国学、都に大学が置かれ、石上宅嗣は私設図書館として( )を設ける。
・『古事記』は稗田阿礼の口伝を( )が筆記して完成した。
・( )は舎人親王らにより漢文の編年体(年代順)で書かれ、以後『日本三代実録』までを( )という。また、漢詩集として( )が残される。
ポイントの整理
・聖武天皇は740年( )の後、引っ越しを繰り返した。
・聖武天皇は、741年( )で全国に国分寺・国分尼寺の建設を進め、743年( )を出し大仏を作ることを決める。
・大仏の造立には、民衆の支持が厚かった僧( )が協力し、752年にインドの僧を招いて開眼供養をして完成した。
・奈良時代の仏教は、国家の安定のための( )の思想に基づき、( )を求めた学問中心だった。
・仏教は三論・成実・法相など( )が学問研究を中心としたが、( )は僧としての正しい道徳として戒律を伝える。
・また神と仏は同一であるとする( )が進んだ。
南都六宗、国分寺建立の詔、大仏造立の詔、鎮護国家、悲田院、施薬院、
確認問題
問1、国家の安定を図るため仏教の力を借りる思想を何というか。
問2、型の上に麻布を重ね漆で固めた彫刻を何というか。
問3,次の書物のうち、奈良時代に書かれたものをすべて選択せよ。
『古事記』、『古今和歌集』、『懐風藻』、『万葉集』、『和漢朗詠集』、
『凌雲集』、『文華秀麗集』、『風土記』、『日本書紀』
問4,建築・絵画・工芸品のうち、奈良時代のものをすべて選択せよ。
法隆寺夢殿、法隆寺金堂、東大寺大仏殿、醍醐寺五重塔、唐招提寺講堂、薬師寺東塔、
過去現在絵因果経、正倉院膝胡瓶、薬師寺吉祥天像、神護寺両界曼荼羅、
風信帖、高野山聖衆来迎図、正倉院螺鈿紫檀五弦琵琶、
日本史(奈良時代)の年表問題
空欄に適切な語句を入れてください。
天皇 | 藤原 | 皇族・その他 | できごと |
文武(もんむ) | 不比等(ふひと) | 701大宝律令 | |
元明(げんめい) | 710平城京、遷都 | ||
元正(げんしょう) | (① ) | 721 ①、右大臣 723(② )を制定 | |
聖武(しょうむ) | 四子(むちまろ・ふささき・うまかい・まろ) | 729(③ ):藤原四子(不比等の息子4人)の陰謀で、自殺させる 同年、(④ )(不比等の娘)が皇后になる 737 四子が天然痘で死ぬ | |
(⑤ ) (⑥ ) (⑦ ) | 740、(⑧ ):⑤らの排除を要求して、九州で反乱を起こす。 740~45、聖武天皇、ぐるぐる引っ越し 743(⑨ )を制定 743大仏造立の詔 | ||
孝謙(こうけん) | (⑪ ) | 752大仏完成 757(⑩ ):⑤の子が、⑪を排除しようとしたが、逆に滅ぼされた 758⑪は恵美押勝の名をもらう | |
淳仁(じゅんにん) | 764(⑫ ):⑪は④の後ろ盾を失い挙兵したが失敗 | ||
称徳(しょうとく) 孝謙の重祚 | 道鏡 | 765道鏡が太政大臣禅師に 769宇佐八幡宮神託事件:道鏡は天皇になろうとしたが、和気清麻呂が阻止 | |
光仁(こうにん) | 百川(式家) 永手(北家) | 百川らが、律令制の立て直しをはかる |
語句
墾田永年私財法、長屋王、吉備真備、玄昉、三世一身法、長屋王の変、光明子、
日本史(奈良時代)の解答
大宝律令の解答
ポイントの整理
・(701)年、刑部親王と藤原不比等により大宝律令が完成し、この時から(日本)と称する。
・(律)は現在の刑法にあたり、(令)は官吏の勤務規定、人民の租税などの行政法にあたる。
・中央組織は、行政全般を管理する(太政官)のもと、太政大臣、左大臣、右大臣、大納言ら(公卿)の合議で進められる。
・地方は、中央の貴族から派遣された(国司)が(国府)を拠点に行政を行い、郡は伝統的な地方の豪族が(郡司)に任じられる。
・九州の要地には外交・軍事の拠点となる(大宰府)がおかれ、難波には(摂津職)がおかれる。
・官吏は、位階に応じて官職を任じられ、封戸・田地・禄などの給与があり、(調)、(庸)、(雑徭)は免除され、父が五位以上の官職に着いた場合、蔭位の制により、子にも官職が与えられた。
・刑罰は笞・杖・徒・流・死の(五刑)で、官吏は免職や代償を納めることで 実刑を逃れられるが、(八虐)など重大な犯罪は、重罰を逃れられない。
確認問題
問1、刑部親王・藤原不比等
問2、公卿
問3、ア、エ、オ
ポイントの整理
・地方豪族は、6年ごとに(戸籍)を作成し、(6)歳以上の(男女)に口分田を与え、死後返還を義務付けた。これを(班田収受法)という。
・諸国に口分田の収穫の3%を納めさせるのを( 租 )といった。特産物を 納めるのを(調 )、布・糸を納めさせるのを(庸 )といい、成年男子には これらを都まで運ぶ運脚という義務があった。
・国司の命令で年60日間、労働を課せられることを(雑徭)といい、男子の3~4人に1人の割合で(軍団)につく兵役があり、その期間中、武器・食料は原則(自弁)である。
・国が春に稲を貸し付け、秋に高利子で徴収を行ったのを(公出挙)といい、重要な財源のひとつだった。
・一般民衆を(良民)といい、奴婢などを(賤民)といったが人口に占める割合は少ない。
重要問題
問1、6歳以上の男女に口分田を貸した。
問2、 庸と調
問3、 公出挙
歴史が苦手な人は、こちらの教科書よりやさしい参考書がおすすめです。
遣唐使の解答
ポイントの整理
・唐はシルクロードを通じて(西アジア)の文化が入り、遣唐使を通じて日本の正倉院にも、この痕跡が見える。
・唐の都(長安)は人口100万人を超える国際都市で、その都城は奈良時代の(平城京)や(渤海)の上京竜泉府などに影響を与えた。
・日本は唐だけでなく、新羅や旧高句麗のあった(渤海)とも交流した。
・唐に渡った留学生のうち、(吉備真備)と(玄昉)は聖武天皇の時代に政界で活躍する。
・玄宗皇帝に重用された阿倍仲麻呂は、生涯唐で暮らした。その同じ時代、インドのナ―ランダ僧院で大乗仏教を勉強した玄奘(三蔵法師)が、「般若心経」などの仏典の中国語訳を行う。後、平安初期の密教のモトになる。
確認問題
問1、西アジア
問2、長安
問3、吉備真備・玄昉
教科書が難しいと感じる人におすすめの問題集です。
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奈良と地方の様子についての解答
ポイントの整理
・平城京は中国にならった碁盤目状の(条坊制)をとり、内裏・官庁・皇族・貴族の屋敷、大寺院、官営の(市)があった。
・708年武蔵国から銅が献上され、(和同開珎)を鋳造し初め、10世紀半ばまで日本が鋳造した貨幣を(本朝十二銭)という。国家も(蓄銭叙位令)を出し、貨幣の流通を促すが、近畿地方にとどまる。
・都と地方との間には(官道)が整備され、(駅家)が設けられ、官吏が主に交通に使った。
・地方では(国府)が政治・経済・文化の中心地で、(国分寺)が建てられた。
・九州の南の(隼人)を平定し大隅国を置き、東北地方は日本海側を中心に(蝦 夷)を平定し秋田城を築き、太平洋側は(多賀城)を築いた。
確認問題
問1、本朝十二銭
問2、蓄銭叙位令
問3、 駅家
問4、国分寺
問5、 隼人
問6、多賀城
教科書内容の整理におすすめで、1,000円以下の問題集です。
奈良時代の政争についての解答
ポイントの整理
・奈良時代の政争は(藤原不比等)の子孫と皇族などとの対立が基本で、10年くらいの間隔で政変が起きた。
・ちなみに最長期政権は、(橘諸兄)らの約20年間。
・(藤原仲麻呂)は聖武天皇の皇后、光明子の後ろ盾で政権を握るが、娘の(孝謙天皇)が僧の(道鏡)を寵愛したので、(恵美押勝の乱)で滅ぼされる。
・(道鏡)は和気清麻呂によって排除され、再び(藤原百川)のもとで、律令制の再建を図る。
・平安時代初期は、藤原氏の式家と北家が中心になる。
確認問題
問1、721-29年(長屋王)、729ー737年(藤原四子)、737-756年(橘諸兄)、
757ー764年(藤原仲麻呂)、765-770年(道鏡)
問2、奈良時代の政変や事件を時代順に並べ、その内容を選択せよ。
西暦 | 政変・事件 | 内容 |
729 | 長屋王の変 | ウ |
740 | 藤原広嗣の乱 | イ |
757 | 橘奈良麻呂の変 | オ |
764 | 恵美押勝の乱 | ア |
769 | 宇佐八幡宮神託事件 | エ |
教科書と同じレベルの問題集です。
奈良時代の土地制度についての解答
・竪穴式住居から(掘立柱住居)が普及。民衆の婚姻は(妻問婚)で、女性の権限が強かった。(鉄製農具)の普及で人口増加と口分田の不足。
・重税から逃れるため、口分田を捨てる(浮浪)や勝手に僧になる(私度僧)が増加し、調・庸の質が悪化する。
・723年(三世一身法)で、三世代までの私有を認める。また743年(墾田永年私財法)で永年にわたる私有を認めるが、身分による開墾地の制限があり、租の納税が義務付けられた輸租田である。
・(大寺院)は、大寺院が国司・郡司の協力を得て、農民・浮浪者を使って開拓を行うが、10世紀に律令制が衰退してからなくなる。
確認問題
問1、鉄製の農具
問2、妻問婚
問3、三世一身法
問4、初期荘園
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天平文化についての解答
ポイントの整理
・天平文化は、聖武天皇の時代を中心とし、特徴として平城京の高度な(貴族文化)で、(唐)の影響をうけた国際色豊かな文化である。
・官吏養成のため、諸国に国学、都に大学が置かれ、石上宅嗣は私設図書館として(芸亭)を設ける。
・『古事記』は稗田阿礼の口伝を(太安万侶)が筆記して完成した。
・(『日本書紀』)は舎人親王らにより漢文の編年体(年代順)で書かれ、以後『日本三代実録』までを(六国史)という。また、漢詩集として(『懐風藻』)が残される。
ポイントの整理
・聖武天皇は740年(藤原広嗣の乱)の後、引っ越しを繰り返した。
・聖武天皇は、741年(国分寺建立の詔)で全国に国分寺・国分尼寺の建設を進め、743年(大仏造立の詔)を出し大仏を作ることを決める。
・大仏の造立には、民衆の支持が厚かった僧(行基)が協力し、752年にインドの僧を招いて開眼供養をして完成した。
・奈良時代の仏教は、国家の安定のための(鎮護国家)の思想に基づき、(現世利益)を求めた学問中心だった。
・仏教は三論・成実・法相など(南都六宗)が学問研究を中心としたが、(鑑真)は僧としての正しい道徳として戒律を伝える。
・また神と仏は同一であるとする(神仏習合)が進んだ。
南都六宗、国分寺建立の詔、大仏造立の詔、鎮護国家、悲田院、施薬院、
確認問題
問1、鎮護国家
問2、乾漆像
問3,『古事記』、『懐風藻』、『万葉集』、『風土記』、『日本書紀』
問4,法隆寺夢殿、唐招提寺講堂、過去現在絵因果経、正倉院膝胡瓶、
薬師寺吉祥天像、正倉院螺鈿紫檀五弦琵琶、
次の、平安時代の練習問題はこちらです。