高校日本史、日清日露戦争の練習問題を用意しました。
日清戦争前から明治時代の文化までの内容です。
先取り学習、定期テスト対策などに使えるようになっています。
この記事は広告を含んでいます。
明治前半の内容は、こちらをご覧ください。
日清・日露戦争の練習問題
歴史は暗記ではない!
近代は、国際関係や政党の動きがややこしく、人物名が多いところです。
事件の名前や人物名より、起きた年代や事件の中身を理解してください。
近代の政治は、内閣ごとに整理すると、理解しやすいです。
次のような手順で、勉強することがおすすめ!
- 教科書を見ながら穴埋め問題を解く
- 年表問題を解く
- もう一度、問題をすべて解く
朝鮮問題・日清戦争の練習問題
ポイントの整理
朝鮮問題
・日朝修好条規締結後、朝鮮では閔妃の一族(国王の外戚)が日本に接近したが、排外的な( )を支持する軍隊が日本公使館を包囲した。1882年これに( )が介入し日本も軍を出した( )。
・日朝で斉物浦条約を結び、閔妃は日本から清朝に寝返った。1884年改革派の( )は日本の支援で政権転覆を企てるが、清朝の介入で失敗した( )。
・1885年日本と清朝の関係が悪化し、( )を結んで、朝鮮から軍を撤退させた。
日清戦争
・1889年朝鮮が日本へ大豆・米の輸出を禁ずる( )を出し、日朝関係が悪化した。
・1894年朝鮮で排外・排日を主張した( )を中心とする農民反乱が起きた際、日本と清朝双方が軍隊を出し、戦争が始まった( )。
・日清戦争は日本が勝利し、1895年首相( )・外相( )が清朝全権( )と交渉し、( )が結ばれた。
・(① )・(② )・澎湖諸島が日本最初の植民地となり、2億両の賠償金を獲得した。
・①はロシアが中心となり清朝へ返還を迫った( )。②は軍隊を派遣して、( )が初代総督となった。
確認問題
問1、金玉均を支援した福沢諭吉が、朝鮮の改革停滞に失望して「脱亜論」を発表したのはいつごろか。選択せよ。
ア、壬午軍乱の後 イ、甲申政変の後、ウ、閔妃暗殺事件の後 エ、ハーグ密使事件の後
問2、日清戦争の直接の発端となった事件は、何か。
日清戦争後の議会の練習問題
ポイントの整理
政府と政党の接近
・日清戦争後、政府は軍備増強(増税)のため政党と協力せざるを得なくなった。第2次( )内閣は(① )の支持をとりつけ、( )を内相に入閣させた。
・1896年第2次( )内閣も(② )と提携し、( )を外相に入閣させた。
・1898年第3次( )内閣は総選挙で伸び悩んだ①との提携をあきらめた結果、①と②が合同して( )を結成したため、議会運営の見通しを失い退陣した。
第1次隈板内閣
・第1次( )内閣は初の政党内閣だったが、旧①と旧②の対立に悩まされた。尾崎行雄文相の共和演説で批判が集中し、旧①系の(③ )と旧②系の( )に分裂して、4か月で退陣した。
政友会の成立
・第2次( )内閣では、③の支持をとりつけ( )増徴案を成立させた。また政党の力が官僚や軍人に及ばないようにするため( )の改正、( )を定めた。さらに( )を定めて、労働運動の規制を強化した。
・これらの政策に批判的だった③と政府系の政党を必要とした( )が接近し、1900年( )を結成した。第4次( )内閣は貴族院の反対に苦しめられ、1901年第1次( )内閣が成立した。
・以後、伊藤と山県は政治の第一線から退いたが、首相選任権を握り( )として権力を行使した。
確認問題
問1、第1次隈板内閣で首相となったのは、だれか。
問2、山県有朋の後継者として、長州閥の軍人・官僚などの勢力を率いたのは、だれか。
問3、伊藤博文の後継者として、立憲政友会の総裁となったのは、だれか。
日露戦争の練習問題
ポイントの整理
中国分割
・日清戦争後、列強が競って中国分割をすすめ、三国干渉をした(① )が日本の脅威となった。①は(② ・ )の租借権と( )の敷設権を獲得し、ドイツは山東半島の( )を獲得した。(③ )は他の列強から出遅れたため、中国市場の門戸開放・機会均等を主張した。
・朝鮮では日本への対抗から①への接近を始めたので、日本公使三浦梧楼により( )が起きた。その後、国号を朝鮮王国から大韓帝国に改めた。
・1900年( )は清朝で排外的機運から起きた反乱だったが、清朝政府が反乱を後押しして列強に宣戦布告したため、日本を含む8カ国に北京を占領された。翌年、清朝は列強との間で( )を締結し、多額の賠償金を支払わされた。その後も①は満洲に駐留し続けた。
日英同盟
・日本では①との戦争を避ける動きもあったが、1902年第1次桂内閣は( )を結んだ。国内ではキリスト教徒の( )や社会主義者の( )らが戦争に反対論を唱えたが、( )ら法学博士と( )ら対露同志会などが開戦論を唱えた。
日露戦争
・日本は③やイギリスの経済支援を受け、戦局を有利にすすめた。③のセオドア=ローズヴェルト大統領の斡旋で1905年日本全権( )と①全権ウィッテは( )に調印した。
・日本は( )の指導権・監督権、②の租借権と長春以南の鉄道と付属権利、北緯50度以南の( )の割譲、カムチャツカ半島の漁業権、を獲得した。
・日露戦争は国民に過重な負担を強いることになり賠償金がなかったことが不満として( )になって表れた。
ロシア、戸水寛人、内村鑑三、膠州湾、韓国、東清鉄道、樺太、日比谷焼打ち事件、幸徳秋水、近衛篤麿、
確認問題
問1,「扶清滅洋」をうたい外国人を襲い、列強の公使館を包囲した集団を何と言うか。
問2,日本海海戦を指揮した連合艦隊の司令長官はだれか。
日露戦争後の国際関係の練習問題
・ポイントの整理
韓国併合
・日露戦争中から、日本は韓国への指導権を拡大させた。1904年( )では日本政府が推薦する財政・外交顧問の採用を認めさせた。アメリカとは( )、イギリスとは第2次( )、ロシアとは( )で韓国の指導権を認められていた。
・1905年日本は軍隊を使い、( )で外交権を奪い保護国化し、漢城に( )を置いた。初代統監は(① )が就任した。
・( )では国王の高宗が密使を送り列強に抗議したため、国王を退位させ韓国の軍隊を解散させ、日本の憲兵が警察権を行使し、元兵士による( )を取り締まった。
・1909年ハルビン駅で韓国人により①が殺害され、翌年3代目統監( )と李完用との間で韓国併合条約を締結した。
・併合後、朝鮮の統治は( )が行い、( )によって所有者があいまいな土地は( )を通じて日本人地主に渡った。
満州権益
・日露戦争後、旅順・大連とその付属地域を( )とよび、1906年( )が旅順に設置された。長春から旅順までの鉄道ならびに鉱山などを( )が経営し、初代総裁は台湾の植民地経営で成果を出した( )が就任した。
・アメリカは満州経営から排除されたため、国内で( )運動が起きた。
・そのため、ロシアとは4次にわたる( )を結び、満蒙権益を擁護した。
辛亥革命
・東京で清国留学生を中心に( )が結成され、翌年の( )で清朝を倒し中華民国を建国し、(② )が臨時大総統となった。しかし、北洋艦隊などをひきいた( )ら軍閥が北京で実権を握り、②らの勢力は広東にとどまった。
確認問題
問1,朝鮮総督府の初代総督に就任した陸軍大将はだれか。
問2、三民主義(民族・民権・民生)をとなえ、中国革命を指導した人物はだれか。
問3、李鴻章の後継者となった人物はだれか。
産業革命の練習問題
ポイントの整理
産業革命の発端
・1880年代後半から鉄道・紡績など会社設立ブームが起き、( )が始まった。1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金に( )に移行し、貨幣価値の安定を図った。
・貿易の金融は特殊銀行の( )が行い、( )などの商社が輸出入を担い、海運業は造船奨励法・航海奨励法の後押しがあり、三菱が母体の( )が海外航路を開拓した。
綿糸と綿布
・綿花から綿糸を作る紡績業は幕末に衰退したが、1870年代( )の登場で回復した。
・1883年に第一国立銀行の( )らの呼びかけで、( )が設立され、蒸気機関を使った本格的な綿糸製造を始めた。その結果、1890年には綿糸生産量が輸入量を上回り、日清戦争後には輸出量が輸入量を上回った。
・1897年( )の開発した国産力織機が農村の小工場に普及し、綿布の製造量が増大し、1909年には綿布の輸出額が輸入額を上回った。しかし、原料の綿花は中国・( )からの輸入に依存し、外貨獲得にはつながらなかった。
絹糸
・( )業は原料の繭を国内生産できたため、幕末以来、最大の輸出産業だった。群馬県の( )の機械技術を取り入れ、水車などを動力とした( )が長野などで普及し、日清戦争後には生産量で手動の座繰製糸を上回り、主に( )に輸出された。
鉄道
・1881年最初の民間鉄道( )が成功したのをきっかけに、各地で民間鉄道が増え、営業キロ数が官営を上回った。1906年第1次( )内閣は、軍事と統一的管理のため( )を定め、私鉄17社を買収した。このとき資金を得た資本家は重工業に投資した。
重工業
・1884年政府は松方財政のとき工場払下げ概則を廃止し、軍事工場・鉄道以外の( )を行い、三菱・三井・古河などの政商が買い取り、鉱山の機械化をすすめ( )へ成長した。
・( )を擁する北九州に、1897年官営の八幡製鉄所が設立された。民間では( )が設立された。
・機械工業では( )が旋盤の国産化を果たし、三菱の( )が世界水準に追いついた。
・日露戦争後は生糸・綿布の輸出が増える一方、軍需品、重工業資材の輸入超過で貿易赤字が続いた。
確認問題
問1,民間の紡績・鉄道の会社設立が増えたのはいつ頃か選択せよ。
ア、第1回内国勧業博覧会の後、 イ、銀本位制確立の後 ウ、日英通商航海条約締結の後、エ、韓国併合の後
問2,日本が金本位制を確立したのはいつ頃が選択せよ。
ア、1881年 イ、1885年 ウ、1895年 エ、1897年
問3,日清戦争後の日本の産業に当てはまらないものを選択せよ。
ア、豊田佐吉が自動織機を開発した。
イ、官営の八幡製鉄所を設立した。
ウ、紡績業で輸出量が輸入量を上回った。
エ、東京・神戸間の東海道線が開通した。
社会問題の練習問題
ポイントの整理
農村の困窮
・明治になり品種改良や金肥で農業生産は増加し、生糸の原料である( )がさかんになった。しかし、商品作物は輸入品に押された。
・1880年代( )以降、小作人への転落する農民が増える一方、都市に住み小作料をとる( )が出現した。地主は株や公債に投資する一方、小作人の子女は年季奉公で工場に勤める者が増えた。
社会問題
・職工のうち大半が( )に従事し、その多くが女工であり、低賃金・長時間労働が問題となった。
・この実態として、雑誌( )で三菱高島炭鉱の坑夫虐待、横山源之助『日本之下層社会』、農商務省編の『職工事情』などに見られる。
・また政商古川市兵衛が経営する( )から鉱毒が流れ、衆議院議員( )が天皇に直訴した。
社会運動
・日清戦争前後から資本家に対し( )がおきはじめ、高野房太郎らが( )を組織したことから、熟練工を中心に労働組合が出来始めた。
・これに対して、1900年第2次( )内閣のとき( )を定めて取締る一方、1911年第2次(① )内閣のとき( )を定め最初の労働者保護法を公布したが、実施は1916年にずれた。
社会主義
・社会運動とともに社会主義も広がった。1901年(② )らは( )を結成したが、すぐに解散を命じられた。
・1903年には②らが( )を結成し、日露戦争反対を訴えるとともに、社会主義も宣伝した。
・日露戦争後、1906年には日本社会党を結成し、第1次( )内閣も当初認めたが、のちに解散を命じた。
・1910年、①のとき②らが天皇暗殺を企てたとされる( )が起き、②ら12人が死刑となった。その後、警視庁に社会主義など思想を取締る( )を設置した。
確認問題
問1,高野房太郎らが労働組合結成の指導するため労働組合期成会を結成したのはいつ頃か、選択せよ。
ア、足尾銅山鉱毒事件の発生から大阪天満紡績の女工ストライキの間
イ、大阪天満紡績の女工ストライキから治安警察法制定の間
ウ、治安警察法制定から平民社結成の間
エ、平民社結成から工場法公布の間
明治文化の練習問題
ポイントの整理
思想
・1870年代は国民の啓蒙が重視され、西洋思想が紹介された。その中心は(① )の明六社である。
・1880年代から雑誌・新聞が刊行された。( )は雑誌『国民之友』を刊行し( )を唱えたのに対し、雑誌『日本人』を刊行した( )や新聞「日本」の( )は日本の伝統文化を重視する( )を唱えた。
・日清戦争後、( )が雑誌『太陽』を創刊し、対外膨張論を強調する( )を唱えた。
・日露戦争後、農村は近代化から取り残され停滞し、都市では個人主義の風潮が強まったので、1908年政府は戊申詔書を出し、国民道徳を強化し、農村では( )により政府と地方の結びつきを強化した。
宗教
・明治初期、政府は神道の国教化をすすめ、1868年( )を出し、神仏習合を禁止した。その結果、全国で( )が起こったが、浄土真宗の僧( )がこれに対抗して、仏教の革新運動を進めた。
・キリスト教は当初、( )で禁じられていたが、1873年に禁制が撤廃された。外国人教師の影響を受け、青年知識人の間で広がり、( )、海老名弾正、新渡戸稲造らが啓蒙思想家として活躍した。
教育
・富国強兵のため国民皆学をめざして、1872年( )が出され、1879年アメリカを参考に( )が出された。
・1886年初代文部大臣①のもと、( )が出され、帝国大学から小学校までの学校体系が整い、小学校は( )年が義務教育とされた。
・1890年には( )が出され、忠君愛国が学校教育の基本とされ、1903年には( )が小学校の教科書とすることが定められた。
美術
・西洋画について、1876年政府はイタリアの画家フォンタネ―ジを招き(② )を開校した。
・日本画について、アメリカ人フェノロサと(③ )の影響で②を閉校して、1887年( )を開校した。
・西洋画の団体は浅井忠らが( )を結成し、黒田清輝らが1896年( )を結成した。
・③らも( )を結成して西洋画に対抗したが、1907年文部省は双方の共営をはかるために( )を開催した。
演劇
・歌舞伎の人気は根強く、明治中期には名優3人の頭文字をとって( )と呼ばれた。
・( )のオッペケペー節など通俗小説を劇化し、( )と呼ばれた。
・西洋の近代劇を翻訳・上演した( )は、坪内逍遥の文芸協会や小山内薫の自由劇場が行った。
確認問題
問、次の空欄に人物名を入れて、表を完成させよ。
・思想
人物 | 著作など |
『学問のすすめ』、『文明論之概略』、「時事新聞」、慶應義塾の創設 | |
『自由之理』、『西国立志編』、など翻訳本 | |
『民約訳解』、フランスの自由主義を紹介 | |
『民権自由論』、自由党で私擬憲法を創作 | |
『日本開化小史』、幕末から明治の歴史をまとめたもの |
・科学
分野 | 人物 | 業績 |
医学 | ① | 伝染病研究でペスト菌の発見 |
志賀潔 | ①に師事し、赤痢菌を発見 | |
薬学 | 消毒薬タカジアスターゼの創製 | |
鈴木梅太郎 | 脚気予防にビタミンB1を発見 | |
物理学 | 長岡半太郎 | 原子構造の研究で、原子模型を提唱 |
地震学 | 大森式地震計を考案。地震予知の祖。 | |
天文学 | 木村栄 | 緯度変化にZ項を加えることを提案 |
植物学 | 牧野富太郎 | 植物分類学に貢献 |
・文学
派閥 | 内容 | 人物 |
写実主義(明治20年代前半) | 文言一致体 近代文学の誕生 | 坪内逍遥・( )・尾崎紅葉 |
ロマン主義(明治20年代後半) | 自我・個人の尊重 | 北村透谷・( )・樋口一葉・与謝野晶子・ 正岡子規 |
自然主義(明治30年代) | 人間の悪いところをさらす | ( )・田山花袋など |
反自然主義(明治末~大正) | 高踏派・耽美派・白樺派 | ( )・永井荷風・武者小路実篤 |
・美術
西洋画 | ( )「収穫」、( )「読書」、( )「海の幸」 |
日本画 | ( )「龍虎図」、鹿野芳崖「悲母観音」、 |
彫刻 | ( )「老猿」、荻原守衛「女」 |
建築 | ( )「ニコライ堂」、辰野金吾など |
日清・日露戦争の年表
・明治時代の内閣
年代 | 首相 | 特徴 | 出来事 |
1885‐88 | 第1次(① )内閣 :長州閥 | ・( )の欧化政策と条約改正 ・(② )の財政 ・憲法の起草 | 1885内閣制度の成立 86条約改正会議の開始 民権派の大同団結運動開始 87憲法の起草 民権派の( ) ( )の制定 88市制・町村制の公布 |
1888‐89 | ( )内閣:薩摩閥 | ・( )を唱え、政党を拒む ・(③ )による条約改正 | 1889( )公布 衆議院議員選挙法を公布 ③遭難事件 |
1889‐91 | 第1次(④ )内閣:長州閥 | ・第1回帝国議会の開催 ・軍備拡大で民党と対立 | 1890府県制・郡制公布 第1回衆議院議員選挙 立憲自由党の結成 教育勅語を公布 第1回帝国議会 |
1891‐92 | 第1次②内閣 | ・第二議会を解散 ・品川内相が選挙干渉 | 1891( )が発生 田中正造が( )を問題化 92第2回総選挙→民党が勝利 |
1892‐96 | 第2次①内閣 | ・元勲総出の内閣 ・陸奥外相により領事裁判権撤廃に成功 ・日清戦争の勝利 ・( )を内相にし、自由党に接近 | 1893和衷協同の詔書で増税を可決 対外強硬派連合が条約改正を攻撃 94日英通商航海条約を締結 日清戦争を開始 95下関条約を締結、三国干渉 |
1896‐98 | 第2次②内閣 | ・③を外相にし、進歩党に接近 ・( )の確立 | 1897貨幣法の公布 労働組合期成会の結成 台湾総督府官制の公布 |
1898 | 第3次①内閣 | ・地租増税案を提出 ・自由党と進歩党が憲政党を結成 | 1989第5回総選挙後、自由党と連携できず 地租増税を否決され、憲政党を結成 |
1898 | 第1次③内閣 | ・最初の政党内閣 ・憲政党が分裂 | 1989共和演説で対立 旧進歩党系が憲政本党を結成 |
1898-1900 | 第2次④内閣 | ・憲政党(旧自由党)を与党 ・地租増税を可決 ・( )で社会運動を規制 | 1899文官任用令の改正 1900( )の公布 ( )の制定→政党の官僚・軍への拡大を規制 ( )の発生 立憲政友会(旧自由党系)が結成 |
1900‐01 | 第4次①内閣 | ・与党は( ) ・山県系の貴族院議員が増税に反対 | 1901官営八幡製鉄所が操業 社会民主党が結成 |
1900‐06 | 第1次(⑤ )内閣:長州・山県閥 | ・元老の影響力が増大 ・明治末から大正初めまで桂園時代の始まり ・日露戦争 | 1901田中正造が天皇に直訴 1902( )の締結 03平民社の結成 04日露戦争の開戦 05ポーツマス条約の調印 |
1906‐08 | 第1次(⑥ )内閣:立憲政友会 | ・立憲政友会内閣 ・財政圧迫と恐慌 | 1906韓国統監府 ( )を公布 満鉄の設立 07帝国国防方針を決議 |
1908‐11 | 第2次⑤内閣 | ・韓国併合 ・関税自主権の回復 | 1908戊申詔書 地方改良運動 09①暗殺事件 10立憲国民党の結成 ( )で幸徳秋水ら死刑 韓国併合条約の調印 11日米通商航海条約改正 ( )の制定 |
1911‐12 | 第2次⑥内閣 | ・辛亥革命 ・立憲政友会内閣 ・2個師団増設で陸軍と対立 | 1911辛亥革命が勃発 12大正に改元 陸軍の2個師団増設案を閣議で否決 |
日清・日露戦争の解答
朝鮮問題・日清戦争の解答
ポイントの整理
朝鮮問題
・日朝修好条規締結後、朝鮮では閔妃の一族(国王の外戚)が日本に接近したが、排外的な(大院君)を支持する軍隊が日本公使館を包囲した。1882年これに(清朝)が介入し日本も軍を出した(壬午軍乱)。
・日朝で斉物浦条約を結び、閔妃は日本から清朝に寝返った。1884年改革派の(金玉均)は日本の支援で政権転覆を企てるが、清朝の介入で失敗した(甲申政変)。
・1885年日本と清朝の関係が悪化し、(天津条約)を結んで、朝鮮から軍を撤退させた。
日清戦争
・1889年朝鮮が日本へ大豆・米の輸出を禁ずる(防穀令)を出し、日朝関係が悪化した。
・1894年朝鮮で排外・排日を主張した(東学党)を中心とする農民反乱が起きた際、日本と清朝双方が軍隊を出し、戦争が始まった(日清戦争)。
・日清戦争は日本が勝利し、1895年首相(伊藤博文)・外相(陸奥宗光)が清朝全権(李鴻章)と交渉し、(下関条約)が結ばれた。
・(①遼東半島)・(②台湾)・澎湖諸島が日本最初の植民地となり、2億両の賠償金を獲得した。
・①はロシアが中心となり清朝へ返還を迫った(三国干渉)。②は軍隊を派遣して、(樺山資紀)が初代総督となった。
確認問題
問1、イ
ア、壬午軍乱の後(1882年) イ、甲申政変の後(1884年)、ウ、閔妃暗殺事件の後(1895年) エ、ハーグ密使事件の後(1907年)
問2、東学党の乱(甲午農民戦争)
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日清戦争後の議会の解答
ポイントの整理
政府と政党の接近
・日清戦争後、政府は軍備増強(増税)のため政党と協力せざるを得なくなった。第2次(伊藤博文)内閣は(①自由党)の支持をとりつけ、(板垣退助)を内相に入閣させた。
・1896年第2次(松方正義)内閣も(②進歩党)と提携し、(大隈重信)を外相に入閣させた。
・1898年第3次(伊藤博文)内閣は総選挙で伸び悩んだ①との提携をあきらめた結果、①と②が合同して(憲政党)を結成したため、議会運営の見通しを失い退陣した。
第1次隈板内閣
・第1次(大隈重信)内閣は初の政党内閣だったが、旧①と旧②の対立に悩まされた。尾崎行雄文相の共和演説で批判が集中し、旧①系の(③憲政党)と旧②系の(憲政本党)に分裂して、4か月で退陣した。
政友会の成立
・第2次(山県有朋)内閣では、③の支持をとりつけ(地租)増徴案を成立させた。また政党の力が官僚や軍人に及ばないようにするため(文官任用令)の改正、(軍部大臣現役武官制)を定めた。さらに(治安警察法)を定めて、労働運動の規制を強化した。
・これらの政策に批判的だった③と政府系の政党を必要とした(伊藤博文)が接近し、1900年(立憲政友会)を結成した。第4次(伊藤博文)内閣は貴族院の反対に苦しめられ、1901年第1次(桂太郎)内閣が成立した。
・以後、伊藤と山県は政治の第一線から退いたが、首相選任権を握り(元老)として権力を行使した。
確認問題
問1、大隈重信
問2、桂太郎
問3、西園寺公望
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日露戦争の解答
ポイントの整理
中国分割
・日清戦争後、列強が競って中国分割をすすめ、三国干渉をした(①ロシア)が日本の脅威となった。①は(②旅順・大連)の租借権と(東清鉄道)の敷設権を獲得し、ドイツは山東半島の(膠州湾)を獲得した。(③アメリカ)は他の列強から出遅れたため、中国市場の門戸開放・機会均等を主張した。
・朝鮮では日本への対抗から①への接近を始めたので、日本公使三浦梧楼により(閔妃暗殺事件)が起きた。その後、国号を朝鮮王国から大韓帝国に改めた。
・1900年(北清事変)は清朝で排外的機運から起きた反乱だったが、清朝政府が反乱を後押しして列強に宣戦布告したため、日本を含む8カ国に北京を占領された。翌年、清朝は列強との間で(北京議定書)を締結し、多額の賠償金を支払わされた。その後も①は満洲に駐留し続けた。
日英同盟
・日本では①との戦争を避ける動きもあったが、1902年第1次桂内閣は(日英同盟)を結んだ。国内ではキリスト教徒の(内村鑑三)や社会主義者の(幸徳秋水)らが戦争に反対論を唱えたが、(戸水寛人)ら法学博士と(近衛篤麿)ら対露同志会などが開戦論を唱えた。
日露戦争
・日本は③やイギリスの経済支援を受け、戦局を有利にすすめた。③のセオドア=ローズヴェルト大統領の斡旋で1905年日本全権(小村寿太郎)と①全権ウィッテは(ポーツマス条約)に調印した。
・日本は(韓国)の指導権・監督権、②の租借権と長春以南の鉄道と付属権利、北緯50度以南の(樺太)の割譲、カムチャツカ半島の漁業権、を獲得した。
・日露戦争は国民に過重な負担を強いることになり賠償金がなかったことが不満として(日比谷焼打ち事件)になって表れた。
確認問題
問1,義和団
問2,東郷平八郎
標準レベルのアウトプットにおすすめの練習問題集です。
入試過去問を解く前に1通り解けるようになっておきたい良問ぞろいです。
日露戦争後の国際関係の解答
・ポイントの整理
韓国併合
・日露戦争中から、日本は韓国への指導権を拡大させた。1904年(第1次日韓協約)では日本政府が推薦する財政・外交顧問の採用を認めさせた。アメリカとは(桂・タフト協定)、イギリスとは第2次(日英同盟)、ロシアとは(ポーツマス条約)で韓国の指導権を認められていた。
・1905年日本は軍隊を使い、(第2次日韓協約)で外交権を奪い保護国化し、漢城に(統監府)を置いた。初代統監は(①伊藤博文)が就任した。
・(ハーグ密使事件)では国王の高宗が密使を送り列強に抗議したため、国王を退位させ韓国の軍隊を解散させ、日本の憲兵が警察権を行使し、元兵士による(義兵運動)を取り締まった。
・1909年ハルビン駅で韓国人により①が殺害され、翌年3代目統監(寺内正毅)と李完用との間で韓国併合条約を締結した。
・併合後、朝鮮の統治は(朝鮮総督府)が行い、(土地調査)によって所有者があいまいな土地は(東洋拓殖会社)を通じて日本人地主に渡った。
満州権益
・日露戦争後、旅順・大連とその付属地域を(関東州)とよび、1906年(関東都督府)が旅順に設置された。長春から旅順までの鉄道ならびに鉱山などを(南満州鉄道株式会社)が経営し、初代総裁は台湾の植民地経営で成果を出した(後藤新平)が就任した。
・アメリカは満州経営から排除されたため、国内で(日本人移民排斥)運動が起きた。
・そのため、ロシアとは4次にわたる(日露協商)を結び、満蒙権益を擁護した。
辛亥革命
・東京で清国留学生を中心に(中国同盟会)が結成され、翌年の(辛亥革命)で清朝を倒し中華民国を建国し、(②孫文)が臨時大総統となった。しかし、北洋艦隊などをひきいた(袁世凱)ら軍閥が北京で実権を握り、②らの勢力は広東にとどまった。
確認問題
問1,寺内正毅
問2、孫文
問3、袁世凱
産業革命の解答
ポイントの整理
産業革命の発端
・1880年代後半から鉄道・紡績など会社設立ブームが起き、(産業革命)が始まった。1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金に(金本位制)に移行し、貨幣価値の安定を図った。
・貿易の金融は特殊銀行の(横浜正金銀行)が行い、(三井物産)などの商社が輸出入を担い、海運業は造船奨励法・航海奨励法の後押しがあり、三菱が母体の(日本郵船)が海外航路を開拓した。
綿糸と綿布
・綿花から綿糸を作る紡績業は幕末に衰退したが、1870年代(ガラ紡)の登場で回復した。
・1883年に第一国立銀行の(渋沢栄一)らの呼びかけで、(大阪紡績会社)が設立され、蒸気機関を使った本格的な綿糸製造を始めた。その結果、1890年には綿糸生産量が輸入量を上回り、日清戦争後には輸出量が輸入量を上回った。
・1897年(豊田佐吉)の開発した国産力織機が農村の小工場に普及し、綿布の製造量が増大し、1909年には綿布の輸出額が輸入額を上回った。しかし、原料の綿花は中国・(インド)からの輸入に依存し、外貨獲得にはつながらなかった。
絹糸
・(製糸)業は原料の繭を国内生産できたため、幕末以来、最大の輸出産業だった。群馬県の(富岡製糸場)の機械技術を取り入れ、水車などを動力とした(器械製糸)が長野などで普及し、日清戦争後には生産量で手動の座繰製糸を上回り、主に(アメリカ)に輸出された。
鉄道
・1881年最初の民間鉄道(日本鉄道会社)が成功したのをきっかけに、各地で民間鉄道が増え、営業キロ数が官営を上回った。1906年第1次(西園寺公望)内閣は、軍事と統一的管理のため(鉄道国有法)を定め、私鉄17社を買収した。このとき資金を得た資本家は重工業に投資した。
重工業
・1884年政府は松方財政のとき工場払下げ概則を廃止し、軍事工場・鉄道以外の(官営事業払下げ)を行い、三菱・三井・古河などの政商が買い取り、鉱山の機械化をすすめ(財閥)へ成長した。
・(筑豊炭鉱)を擁する北九州に、1897年官営の八幡製鉄所が設立された。民間では(日本製鋼所)が設立された。
・機械工業では(池貝製鉄所)が旋盤の国産化を果たし、三菱の(長崎造船所)が世界水準に追いついた。
・日露戦争後は生糸・綿布の輸出が増える一方、軍需品、重工業資材の輸入超過で貿易赤字が続いた。
確認問題
問1,イ
ア、第1回内国勧業博覧会の後(1877年)、 イ、銀本位制確立の後(1885年) ウ、日英通商航海条約締結の後(1894年)、エ、韓国併合の後(1910年)
問2,エ
ア、1881年 イ、1885年 ウ、1895年 エ、1897年
問3,エ
ア、豊田佐吉が自動織機を開発した。(1897年)
イ、官営の八幡製鉄所を設立した。(1897年)
ウ、紡績業で輸出量が輸入量を上回った。(1897年)
エ、東京・神戸間の東海道線が全通した(1889年)
社会問題の解答
ポイントの整理
農村の困窮
・明治になり品種改良や金肥で農業生産は増加し、生糸の原料である(養蚕)がさかんになった。しかし、商品作物は輸入品に押された。
・1880年代(松方財政)以降、小作人への転落する農民が増える一方、都市に住み小作料をとる(寄生地主)が出現した。地主は株や公債に投資する一方、小作人の子女は年季奉公で工場に勤める者が増えた。
社会問題
・職工のうち大半が(繊維工業)に従事し、その多くが女工であり、低賃金・長時間労働が問題となった。
・この実態として、雑誌(日本人)で三菱高島炭鉱の坑夫虐待、横山源之助『日本之下層社会』、農商務省編の『職工事情』などに見られる。
・また政商古川市兵衛が経営する(足尾銅山)から鉱毒が流れ、衆議院議員(田中正造)が天皇に直訴した。
社会運動
・日清戦争前後から資本家に対し(ストライキ)がおきはじめ、高野房太郎らが(労働組合期成会)を組織したことから、熟練工を中心に労働組合が出来始めた。
・これに対して、1900年第2次(山県有朋)内閣のとき(治安警察法)を定めて取締る一方、1911年第2次(①桂太郎)内閣のとき(工場法)を定め最初の労働者保護法を公布したが、実施は1916年にずれた。
社会主義
・社会運動とともに社会主義も広がった。1901年(②幸徳秋水)らは(社会民主党)を結成したが、すぐに解散を命じられた。
・1903年には②らが(平民社)を結成し、日露戦争反対を訴えるとともに、社会主義も宣伝した。
・日露戦争後、1906年には日本社会党を結成し、第1次(西園寺公望)内閣も当初認めたが、のちに解散を命じた。
・1910年、①のとき②らが天皇暗殺を企てたとされる(大逆事件)が起き、②ら12人が死刑となった。その後、警視庁に社会主義など思想を取締る(特別高等課)を設置した。
確認問題
問1,イ(1897年)
ア、足尾銅山鉱毒事件の発生から大阪天満紡績の女工ストライキの間(1891‐1894)
イ、大阪天満紡績の女工ストライキから治安警察法制定の間(1894‐1900)
ウ、治安警察法制定から平民社結成の間(1900‐03)
エ、平民社結成から工場法公布の間(1903‐11)
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明治文化の解答
ポイントの整理
思想
・1870年代は国民の啓蒙が重視され、西洋思想が紹介された。その中心は(①森有礼)の明六社である。
・1880年代から雑誌・新聞が刊行された。(徳富蘇峰)は雑誌『国民之友』を刊行し(平民主義)を唱えたのに対し、雑誌『日本人』を刊行した(三宅雪嶺)や新聞「日本」の(陸羯南)は日本の伝統文化を重視する(国粋主義)を唱えた。
・日清戦争後、(高山樗牛)が雑誌『太陽』を創刊し、対外膨張論を強調する(日本主義)を唱えた。
・日露戦争後、農村は近代化から取り残され停滞し、都市では個人主義の風潮が強まったので、1908年政府は戊申詔書を出し、国民道徳を強化し、農村では(地方改良運動)により政府と地方の結びつきを強化した。
宗教
・明治初期、政府は神道の国教化をすすめ、1868年(神仏分離令)を出し、神仏習合を禁止した。その結果、全国で(廃仏毀釈)が起こったが、浄土真宗の僧(島地黙雷)がこれに対抗して、仏教の革新運動を進めた。
・キリスト教は当初、(五榜の掲示)で禁じられていたが、1873年に禁制が撤廃された。外国人教師の影響を受け、青年知識人の間で広がり、(内村鑑三)、海老名弾正、新渡戸稲造らが啓蒙思想家として活躍した。
教育
・富国強兵のため国民皆学をめざして、1872年(学制)が出され、1879年アメリカを参考に(教育令)が出された。
・1886年初代文部大臣①のもと、(学校令)が出され、帝国大学から小学校までの学校体系が整い、小学校は(4)年が義務教育とされた。
・1890年には( 教育勅語 )が出され、忠君愛国が学校教育の基本とされ、1903年には(国定教科書)が小学校の教科書とすることが定められた。
美術
・西洋画について、1876年政府はイタリアの画家フォンタネ―ジを招き(②工部美術学校)を開校した。
・日本画について、アメリカ人フェノロサと(③岡倉天心)の影響で②を閉校して、1887年(東京美術学校)を開校した。
・西洋画の団体は浅井忠らが(明治美術会)を結成し、黒田清輝らが1896年(白馬会)を結成した。
・③らも(日本美術院)を結成して西洋画に対抗したが、1907年文部省は双方の共営をはかるために(文部省美術展覧会)を開催した。
演劇
・歌舞伎の人気は根強く、明治中期には名優3人の頭文字をとって(団菊左時代)と呼ばれた。
・(川上音二郎)のオッペケペー節など通俗小説を劇化し、(新派劇)と呼ばれた。
・西洋の近代劇を翻訳・上演した(新劇)は、坪内逍遥の文芸協会や小山内薫の自由劇場が行った。
確認問題
問、次の空欄に人物名を入れて、表を完成させよ。
・思想
人物 | 著作など |
福沢諭吉 | 『学問のすすめ』、『文明論之概略』、「時事新聞」、慶應義塾の創設 |
中村正直 | 『自由之理』、『西国立志編』、など翻訳本 |
中江兆民 | 『民約訳解』、フランスの自由主義を紹介 |
植木枝盛 | 『民権自由論』、自由党で私擬憲法を創作 |
田口卯吉 | 『日本開化小史』、幕末から明治の歴史をまとめたもの |
・科学
分野 | 人物 | 業績 |
医学 | ①北里柴三郎 | 伝染病研究でペスト菌の発見 |
志賀潔 | ①に師事し、赤痢菌を発見 | |
薬学 | 高峰譲吉 | 消毒薬タカジアスターゼの創製 |
鈴木梅太郎 | 脚気予防にビタミンB1を発見 | |
物理学 | 長岡半太郎 | 原子構造の研究で、原子模型を提唱 |
地震学 | 大森房吉 | 大森式地震計を考案。地震予知の祖。 |
天文学 | 木村栄 | 緯度変化にZ項を加えることを提案 |
植物学 | 牧野富太郎 | 植物分類学に貢献 |
・文学
派閥 | 内容 | 人物 |
写実主義(明治20年代前半) | 文言一致体 近代文学の誕生 | 坪内逍遥・(二葉亭四迷)・尾崎紅葉 |
ロマン主義(明治20年代後半) | 自我・個人の尊重 | 北村透谷・(森鴎外)・樋口一葉・与謝野晶子・ 正岡子規 |
自然主義(明治30年代) | 人間の悪いところをさらす | (島崎藤村)・田山花袋など |
反自然主義(明治末~大正) | 高踏派・耽美派・白樺派 | (夏目漱石)・永井荷風・武者小路実篤 |
・美術
西洋画 | (浅井忠)「収穫」、(黒田清輝)「読書」、(青木繁)「海の幸」 |
日本画 | (橋本雅邦)「龍虎図」、鹿野芳崖「悲母観音」、 |
彫刻 | (高村光雲)「老猿」、荻原守衛「女」 |
建築 | (コンドル)「ニコライ堂」、辰野金吾など |
明治前半の練習問題は、こちらです。