ニャマ先生がオンライン塾を始めました。
zoom とLINE を活用した低料金のサービスを展開いたします。
宅浪の方におすすめの、毎日の学習記録と小テストつきのチューターコース。
勉強が苦手な小中学生におすすめの、毎日少量ずつ宿題を出す小中学生コース。
2コースとも締め切りと人数制限がありますので、お早めにお願いします。
ニャマ先生のオンライン塾
ニャマ先生のスペック
指導教科:英語・国語・社会・数学(中学まで)
これまでの合格実績:個別指導で10年
大学:徳島大学、香川大学、愛媛大学、鳴門教育大学、静岡大学、近畿大学
高校:県内の公立高校、愛光学園、
英検:準2級
ニャマ先生の経歴
2007年徳島大学総合科学部卒
2009年大阪市立大学大学院文学研究科前期博士課程修了
2009年公立高校の臨時講師
2010年地元進学塾の英語講師
2011年個別指導塾の講師
2021年ニャマ先生のOnline塾を開設
コースの紹介
宅浪向けチューターコース(締め切りは2022年5月20日)
- LINEで毎日の学習内容をサポートします
- 日々10時間以上の勉強時間確保させます
- 毎日、英単語・数学の小テストを出します
- 週1回30分zoomでミーティングを行います(1対1)
- 月額1,000円
- 14日間体験(ミーティング2回)が無料
- 限定3人
家庭の事情で予備校・塾に通えないけど、志望大学の合格を目指している人におすすめのコースです。
宅浪は孤独との戦いで、つい自分に甘えて勉強時間がおろそかになってしまいがち。
そんな人のためにニャマ先生が、毎日小テストを出して、勉強内容をチェックします。
その他、進路相談や勉強に関するアドバイスやサポートが中心で、授業は行いません。
小中学生コース(締め切りは2022年7月31日)
- zoomで1週間90分授業(45分2回もOKです)(1対1)
- 毎日、LINEもしくはメールで少量ずつ宿題を出します
- 毎回の授業で小テストを実施
- お子様の気分や性格にあわせてます
- 学習習慣を定着させ、成績アップにつなげます
- 月額3,000円
- 体験授業2回分が無料
- 限定3人
中学校に入ってから急激に成績が下がったけど、自力では解決が難しいお子様におすすめです。
少しでも勉強すれば変われるかも、から、成績が上がって勉強に興味がわいてきた、と変われるようサポートします。
ノートの書き方、宿題の習慣、小テストで毎回合格する方法など学習習慣の基礎からサポートいたします。
お問い合わせ方法
・宅浪向けチューターコース
以下の質問に箇条書きでお答えいただけるとありがたいです。
- 氏名・住所
- 年齢・何浪目
- 志望大学・学部を3つ以上
- 直近の成績がわかるもの(共通テストの成績など)
- 現在使用している参考書・問題集
- LINE ID
・小中学生コース
以下のご質問に箇条書きでお答えいただけるとありがたいです。
- 氏名・住所
- 学校名・学年
- 直近の定期テストの結果
- 普段の学習状況
- 現在使用している問題集・参考書等
- その他特筆すべきこと(例、軽度の発達障害、不登校、睡眠障害など)
- お子様と保護者様のLINE ID
個人情報は、指導以外の目的で使用することは一切ありません。
スマホならメニュー画面の「お問い合わせ」から、PCなら画面右上の「お問い合わせ」からどうぞ!
ニャマ先生のお勉強遍歴
僕がどんな人柄か興味のある方だけ、ご覧ください。
長い自分語りをしているので、読み飛ばして問題ありません。
お勉強が苦手だった小学校時代
初めから勉強ができるタイプだったかと言えば、決してそうではありません。
小学校時代は、まじめにコツコツ勉強を続けるタイプではありませんでした。
かなり怠けていたと思います。
父親が印刷会社に勤めていたので、家庭学習用の「某教材」を毎月もらってきました。
この「某教材」を翌月までやり終えたことは一度もなく、ためこんだ分を夏休みに泣きながら消化する感じでした。
なので勉強は難しくてつまらない、と自然に刷り込まれいたと思います。
興味のない内容を要領よく身に着けられるタイプではないので、同級生と比べて新しい内容には時間がかかっていました。
そんなことが重なった結果、小学校4年生あたりからテストの結果がかなり下がってきました。
算数のテストでいくらか頑張って解いたつもりでも、結果が30点前後という状態でした。
かなりマズい状態だと小学生ながら危機感はありました。
中学校までになんとか自分を変えたいけど、どうすればよいか分からない、そんな意識でした。
親が僕の状況を見かねたのか、5年生の終わりに学校近くの集団塾の入塾テストを受けさせられました。
結果は一番下のクラスに入れる基準に満たず、入塾を断られました。
その塾はスパルタ気味だったので、半ば安堵したと同時に、屈辱感もありました。
その集団塾の塾長に勧められたのが、個別指導と家庭教師でした。
個別指導をすすめられた点は、今も感謝しています。
ここで、成績がガラッと劇的に変わったからです。
成績が伸びた中学校時代
当時、90年代半ばの田舎では、個別指導という言葉そのものが珍しいくらいでした。
たまたま新聞折り込みで、個別指導塾の新教室が開校したのを見つけました。
小学6年生から個別指導塾に通い始めて、算数のテストも70点台くらいに戻ってきました。
成績が上がるまで半年以上かかりましたが、塾の効果は確かに実感できました。
しかし高校受験を目標に入れると、まだまだ道半ばでした。
中学校最初のテストは、128/260位という結果だったと思います。
中学校に上がってから、勉強は自分から計画を立ててやっていました。
なので親から勉強しろと言われたことは、一度もありませんでした。
ここまで変わったのは、理由は3つあります。
- 勉強ができない屈辱があった
- 目標を決めて、自分なりに勉強法を工夫した
- 当時の個別指導はかなり放任されていた
個別指導のよい点は、自分のペースで勉強ができる点です。
指導法もかなり緩かったので、自分なりに手探りで工夫できるゆとりがありました。
1年くらい成績が伸びない時期もあり、効率的なやり方ではなかったですが、トライ&エラーができたのが大きかったです。
人から言われてやるつまらない勉強から、自分のために本気を出す勉強に変わりました。
仲のいい友達2人と成績を見せ合って、競争したのもよかったです。
中学時代は友達に手を引っ張ってもらったおかげで、成績が伸びたと感じています。
ただ数学と国語が苦手で、社会と理科は断トツで高得点という状態は、小学校時代と同じでした。
最終的に中3では50/258位くらいまで上がり、近所の進学校にはゆとりをもって入学できました。
成績がもっと伸びた高校時代
中学校で劇的に成績が伸びた結果、友達と一緒に家から近い高校に進学しました。
この経験は勉強に悩んでいる子に提供できるのではないか、とこの頃から無意識に思っています。
高校の次は大学ですが、ぼんやりと歴史の研究がしたいと考えていました。
小学生のときから社会・理科だけは得意で、センター試験の世界史も93点ありました。
兄弟が下に2人いたから、親から県外の進学は止められていました。
高1の頃から模試がC判定だったので、もう少し上の大学を目指せるのではと担任に言われていました。
たいていは猫も杓子もの勢いで地元の国立大学を第一志望にするはずですが、地元以外の大学をすすめられるのは予想外でした。
2000年代初めの当時、周囲の情報が不足して、大学を卒業できれば何とかなるくらいしか考えていなかったのは甘かったと思います。
高校という枠内でテストの成績に一喜一憂するだけで、社会に対して漠然と不安になる他に気軽に自分から調べられる手段がほとんどありませんでした。
この当時の「K雪時代」には、大学の情報が掲載されているくらいだったかなと思います。
少なくとも何でお金を稼ぐかは、「金持ち父さん」くらいは読んでおくべきでした。
ちなみに、成績は高1から高3にかけて、90位、40位、18位くらいの順に伸びました。
大学はセンター試験ありの推薦で、地元の国立大学に進学しました。
研究が好きだった大学・大学院時代
大学は自宅から自転車で通える距離のところにありました。
大学の勉強はかなり面白く、決まったメンバーと授業を受けているときが楽しかったです。
英語からは逃げて、中国語や漢文を読む授業に特に力を入れていました。
学問をもっと深く勉強したいと、この時は考えていました。
しかし研究とお金儲けは、かなり住む世界が乖離しています。
文章力は大学時代にかなり磨きましたし、原稿用紙100枚分以上の論文を書き終えても苦痛だとは感じませんでした。
プライベートでも本をたくさん読んで、蓄えてきた知識と思考にはそれなりの自信がありました。
国語嫌いも自然となくなっていきました。
しかし学問と実世界が、あまりにも乖離していました。
僕の進んだ道の場合、教職か学芸員あるいは公務員のどれかに殺到しました。
少子化が進む地元では、どちらも実現性が低い選択肢でした。
僕の興味は人文学や社会科学に偏っていたので、就職も自分事として深く考えてしませんでした。
学部生の頃に高校の教員免許は取得し、大学院は一般入試で大阪市立大学に進みました。
学問と就職の乖離には、修士の時代により苦しむことになりました。
博士課程のお世話になった優秀な先輩が大学を去るのを目の当たりにすると、心苦しいものがありました。
自分の研究テーマにも掘り下げる価値があるのか疑いだした頃でした。
大学院でやる内容は学部時代がぬるま湯に感じるほど、研究者のための高度な内容が厳しく求められました。
だからこそ浮世離れが甚だしいと感じずにはいられず、学部時代の無邪気な情熱は消えてしまいそうでした。
こうした精神状態だったから、教職を選択せざるを得ませんでした。
ニャマ先生の誕生
なんとか修士論文を書き終え、研究発表を3回終え、卒業することができました。
地元に帰って半年間は、高校の臨時教員をして、この時に生まれて初めて日本史と地理を教えました。
高校では世界史を選択し、教育実習も世界史だったので、生徒にはかなり迷惑をかけたと思います。
給料はそこそこ好待遇でしたが、脂汗をかきつつ、精神的にはかなり参っていました。
教育には関わりたいと思ったものの、教育の本丸をしっかり観察できれば十分とだけ考えていました。
高校の先生も情熱をもって仕事に取り組んでいる先生は多いですが、僕はその仕事ぶりに共感ができませんでした。
翌年には、教員採用試験は受けず、地元の進学塾に正社員として就職しました。
そこで教える羽目になったのが、今まで逃げてきた英語です。
マーク模試の問題を無理やり解かされましたが、人前で英語を教えられるようなレベルではありませんでした。
これがいわゆる研究とお金儲けが、かけ離れた結果の苦しみです。
とにかく付け焼刃でなんとか食らいついていきましたが、無理がたたって病気療養する羽目になりました。
一日の多くを睡眠に費やすニャマ先生は、こうして出来上がりました。
指導力が向上したのは、ニャマ先生になってからです。
現在は個別指導塾でアルバイトをしており、国公立大学の合格者を6人出しています。
ちなみに昨年は、工業高校の生徒が英検準2級に合格しました。
原点をたどれば、自分の成績が伸びた経験をだれにでも共有したい、そいう思いでブログを運営しています。